『理念と経営』WEB記事

日本中を巻き込み、水産業の未来を変える

株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 代表取締役社長 津田祐樹 氏

3.11。東北の水産業は甚大な被害を受けた。「自分に、何かできることはないか」「どうせなら、日の丸を背負おう」――。日本の水産業の未来に本気で火をともそうとする仲間が集まり、「フィッシャーマン・ジャパン」が結成された。閉鎖的な業界を変える。震災前から減少し続ける漁業従事者を増やす。あの日以来、津田さんは仲間と共に走り続けている。

10年間、本気で頑張っても39歳。地元を放って逃げたら、一生後悔する

高校の「政治・経済」の授業だったか。資料集を見ていると、ニューヨークの摩天楼の後ろに貧困にあえぐアフリカの子どもたちの写真が載っていた。自分たちの幸せは誰かの不幸の上に成り立っているのではないだろうか。その時、世の中の幸福度はならすとゼロになるような気がして、「生き方を考えなければならない」と切実に思った。ビジネスで解決できる社会課題とは何だろう。17歳の自分には、その答えが「環境問題」のように思えた――。

株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティングの社長を務める津田祐樹さんは、宮城県の沿岸に位置する石巻市で魚屋を営む両親の元に生まれた。幼い頃から「魚屋は儲からないから別の仕事に就いたほうがいい」と言われ、後を継ごうと思ったことは一度もない。

大学生の時に「IT革命」という言葉が流行し、将来はハイテクベンチャーで環境問題の解決に取り組みたいと考えていた。卒業後はインターンをしていた地元企業の経営者に誘われて新会社を設立したものの、その事業はすべて嘘で、津田さんは騙されていたことに気付く。残されたのは多額の借金だけだった。

「結果的に私を通じて騙された人もいたわけで、言い訳するよりも自分の生き様を見てもらうしかないと思いました」

そこで選んだ道は、最も嫌っていた実家の魚屋を手伝うこと。迷惑をかけた人たちに償いながら、状況が落ち着くまで働き続けよう。「逃げたら最後、二度と地元には戻ってこられないだろう」という思いだけが津田さんを支えていた。

数年後、家業の経営も安定し、そろそろ自分が抜けてもいいだろうかと思っていた2011(平成23)年3月、東日本大震災が起きた。幸い家族は無事だったが、石巻の自宅は全壊してしまう。家族で仙台に避難し、魚を仕入れることができないまま1カ月が経過すると、「魚屋を畳むには良いタイミングだな」という思いが頭に浮かんだ。

25(令和7)年2月末時点で、震災による石巻市の犠牲者数は関連死を含めて3500人超に上る。その中に「飲み屋で会えば話をする程度」の小中学校の同級生がいた。

訃報を知り、彼のブログを訪れると、震災の直前に子どもが生まれていたことを知った。

最後の投稿は震災の1週間ほど前。「4月から昇進が決まって責任が重くなるけれど、新米父ちゃんとしてがんばろう」。

読んだ途端、パソコンの前で嗚咽が止まらず、自分の都合だけで逃げようとしていたことが恥ずかしくなった。

15歳だったら何もできなかっただろう。還暦を過ぎていたらしんどかったかもしれない。でも、自分は29歳で震災に遭遇し、一番被害の大きな水産業に携わっている。

「10年間、本気で頑張っても39歳。それから本当に好きなことだってできる。どん底の地元を放って逃げたら、一生後悔するように思えました」

無念の死をとげた人たちの家族が幸せに暮らせる石巻にしたい。津田さんの心に火がともった瞬間だった。

自分たちが豊かになるだけではなく、三陸や日本の水産業について真剣に考えている人たちに出会った

しかし、当初は自分たちの生活基盤を立て直すことで精いっぱい。悶々としていた時、東京から復興支援に来ていた人が、同じ問題意識を持つ若手漁師などに引き合わせてくれた。

「漁師は1円でも高く売りたいし、魚屋は1円でも安く仕入れたい。当時、漁師と魚屋の間に信頼関係はなく、私自身、あまり漁師と話したこともありませんでした」

水産業の課題解決のためには協力する必要性を感じていたものの、信用できる漁師がいるのか、半信半疑だった。……

取材・文 菅井理恵
撮影 宍戸清孝


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本記事は、月刊『理念と経営』2026年3月号「火をともす人たち」から抜粋したものです。

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