『理念と経営』WEB記事
わが師の恩
2026年2月号
天才落語家・立川談志にもっとも叱られた弟子が語る 「師を持つということ」

落語家 立川談慶 氏
9年半もの前座時代。それは、理不尽な無理難題に耐えてきた日々だった――。異色の経歴を持ち「知性派落語家」として活躍中の立川談慶さんが振り返る「談志師匠から学んだこと」。
1万回叱られ、
1万回謝った、
長い前座生活
私の落語の原体験、そもそもの出会いは小学生の時でした。テレビで先代の林家三平師匠が一人で大勢を笑わせているシーンを見て、ときめいてしまったのです。
笑うと、こんなにも心がほぐれるのはなぜだろう。この人は “神”かもしれない ―そう思いました。
そして80年代初頭、中3の時が第1回の漫才ブームでした。中でも私はツービートのビートたけしさんが大好きで、その時、立川談志師匠がツービートを評価していたのです。
私は生意気にも “談志と俺は笑いのセンスが一緒だ”と勝手に思ってしまいました。これが「立川談志」という名前を知った最初でした。
やがて慶應義塾大学の経済学部に入り、すぐに落語研究会の門を叩きました。
3年の時でした。師匠と桂三枝師匠(現 桂文枝)の二人会を観に行ったのです。初めて立川談志の落語を聞いた体験です。私の鮮烈なる “談志デビュー”でした。
出し物は『権兵衛狸』。タヌキが恩返しにくるという話ですが、古典の範疇に留まらずタヌキの視点から見た人間社会という文明批評になっていました。落語の奥深さ、可能性を感じて、一発で心を奪われ、師匠に惚れてしまいました。
大学を卒業して婦人衣料メーカーのワコールに就職したのですが、意を決して、3年で会社を辞め立川談志の門を叩きました。
師匠が落語立川流を旗揚げして8年目の1991(平成3)年。 兄弟子の志の輔師匠や談春師匠、志らく師匠が注目され始めた頃です。自分も頑張ればそうなれると単純に思ったのです。
師匠も、慶應を出て、一部上場企業でサラリーマンの経験を積んできたということで私に対する期待値が高かったのでしょう。「1を聞けば10を知る」ような優秀で使えるヤツに違いない、と私を買いかぶったと思います。
ところが謙遜ではなく、私は実直でばか正直、何をやっても“何でそこから始めるかな”というくらい不器用でした。師匠の家の冷蔵庫を掃除した後、電源を入れ忘れて帰り、中の物を腐らせたことがあるくらいのドジだったのです。
普通3、4年で「前座」から「二つ目」に昇進するのに、私は9年半かかりました(共に噺家の階級。「前座」「二つ目」「真打ち」の順に昇格する)。
「談志に1万回叱られ、1万回謝った」といわれる長い前座生活は、私の楽観と、師匠の私への期待値の高さという互いの誤解から始まったのです。
「お前は俺の基準を満たしていない。それだけだ」
入門した時に、師匠はこう言いました。
「修業とは不合理や矛盾に耐えることだ」
まったくその通りで、前座の9年半は師匠からの理不尽な無理難題に耐えてきた日々といえます。
なにせ師匠たちの機嫌をそこねることを、落語界では「しくじり」と呼ぶほどです。しくじる度に謝るわけです。言い訳ではなく、謝罪。謝罪と修業はセットとしてあったのです。
取材・文 鳥飼新市
撮影 伊藤千晴
本記事は、月刊『理念と経営』2026年2月号「わが師の恩」から抜粋したものです。
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