『理念と経営』WEB記事

滑る喜びを伝えに もう一度氷上へ

フィギュアスケート 五輪メダリスト 伊藤みどり 氏

かつて、世界に類を見ないジャンプ技術でフィギュアスケート界を席巻した伊藤みどり。
そんな彼女が数十年の時を経て再びリンクに戻ってきたという。長い空白期間に考えていたこと、そして、次に向かって動き出した理由とは。

世界を驚かせた
“ミドリ・イトウ”の跳躍

約束の時間よりだいぶ早く、伊藤みどりさんは現れた。慌てて挨拶をすると、彼女は顔いっぱいの笑みを見せるのだった。

まぎれもなく、あの懐かしい“みどりスマイル”である。

スピードやジャンプの高さ、スピンの正確さはもちろんながら、一番印象に残っているのはリンクの上での笑顔です。そう話すと、「私、思わず感情が表に出てしまうんです。試合で難しい技ができた時なんか思わずガッツポーズが出たり、笑顔が出たり……」

と、さらに笑いが弾けた。

彼女は、女子フィギュアスケート界のレジェンドである。いくつもの世界初を成し遂げてきた。

たとえば1989(平成元)年のフランス・パリでの世界選手権大会。女子選手には無理だとされていたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を世界で初めて成功させた。アジア人として初めての優勝も飾ったのである。

さらに例を挙げれば、最後の大舞台となった92(同4)年のフランス・アルベールビル五輪でのフリースケーティングもある。冒頭のトリプルアクセルで転倒したが、演技後半、再び挑戦した。

疲労が溜まる後半のトリプルアクセルは難度が高い。しかし彼女はそれに挑んだ。

「成功するかしないかではなく、跳んで後悔するか、跳ばないで後悔するか。そう考えたんです。同じ後悔をするなら跳ぼうって」

完璧なトリプルアクセルを跳び、銀メダルに輝いた。

彼女は、芸術性に偏っていた女子フィギュアスケートをスピードやジャンプの高さを競う“スポーツ”に変えたと言われている。国際スケート連盟が「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀に導いた」という声明を出したほどなのである。

競技人生に悔いはない
でも、これから何をすれば……

伊藤さんは、アルベールビル五輪の前のカルガリー五輪(カナダ、88年)にも出場している。5位で終わったが、フリースケーティングで超人的なジャンプを見せた。全5種類の3回転ジャンプを合計7回跳んだのだ。演技終了直前に両手でガッツポーズをしたのは、この時だ。全観客がスタンディングオベーションで応えた。

「山田が、いつも『みんなの記憶に残るスケーターになりなさい』と言っていたんです。世界チャンピオンは毎回生まれる。でも世界初は一回しか生まれないって」

“山田”とは、彼女の恩師・山田満知子コーチのことだ。その呼び方からはコーチに対する親愛と尊敬の気持ちが伝わってくる。

伊藤さんは、世界で戦う自分の武器って何だろうと考え、「ジャンプしかない」と決めたという。

「跳ぶのが好きだったんです。“好きこそものの上手なれ”です」

山田さんとの出会いは4歳の時だった。

取材・文 鳥飼新市
撮影 手島雅弘


この記事の続きを見たい方
バックナンバーはこちら

本記事は、月刊『理念と経営』2026年1月号「Next Goal」から抜粋したものです。

理念と経営にご興味がある方へ

SNSでシェアする

無料メールマガジン

メールアドレスを登録していただくと、
定期的にメルマガ『理念と経営News』を配信いたします。

お問い合わせ

購読に関するお問い合わせなど、
お気軽にご連絡ください。