『理念と経営』WEB記事

ナンバーワンになれる “土俵”はどこだ?

象印マホービン株式会社代表取締役社長執行役員  市川典男 氏(右)× 歴史家・作家 加来耕三 氏

創業1918(大正7)年。1本のガラス製マホービンから歩みが始まった同社は、日常生活を彩る数々の家庭用品を世に送り出し、その地位を不動のものにしてきた。「象印ブランド」を守りつつ、さらなる変革への挑戦を牽引する4代目・市川社長の経営哲学に、歴史家の加来氏が切り込む。

経営者としての原点は
大学テニス部での主務経験

加来 市川社長の経営者としての原点は、甲南大学テニス部で「主務」(事務面を統括する)を務めて大学日本一に貢献されたことだそうですね。まず、そのお話から伺えればと思います。

市川 私は(系列校の)甲南高校のテニス部時代からマネージャーをしていました。強豪校の甲南ではレギュラー選手になれず、その代わり、裏方として部を支えようと考えたのです。インターハイの団体戦決勝で甲南高は惜敗して、悔しい思いをしました。その後、先輩から「お前、大学でもテニス部に入れ。1年から主務にしてやるから、一緒に日本一を目指そう」といわれましてね。

加来 マネージャーとしての才覚が光っていたわけですね。

市川 選手としての才覚はなかったのですが(笑)。大学の運動部では、主務は序列から言うと主将に次ぐ2番手なんです。だから普通は最上級生がなるのですが、私は1年の秋から主務になりました。そして、2年の時に大学選手権で準優勝、3年の時に優勝して、念願の大学日本一になれたんです。

加来 そのご経験が、経営者になられてから生きていますか?

市川 はい。もともと私自身も、創業家の一員としていずれは象印の後継ぎになるだろうから、そのためには主務の経験が糧になるはずだと考えていました。事務・渉外のすべてを取り仕切る立場で、部費は数百万円単位で動かしますし、OB会の窓口もやるので、5~60代のOBの方々と接する機会も多かったですからね。

加来 いろいろな意味で、主務経験が“組織を動かすトレーニング”になったわけですね。

市川 そう思います。テニスは個人競技ですが、団体戦は総力で勝たないといけないので、チーム作りについても多くを学びました。チームマネジメントは、会社組織のマネジメントと基本は一緒ですから。テニス部を裏方として引っ張って大学日本一を達成した成功体験は、経営者としての土台になりました。

加来 主務にはご苦労も多かったと思いますが、「辞めたい」と思われることはなかったのですか?

市川 一度もありませんでした。そもそも、高校時代にテニス部でレギュラーになれなかった時点で、普通は部を辞めると思うんですよ。甲南高校のテニス部は人気があって、1年の時に60人くらいが入部するんです。

そのうち最後まで残るのが3、4人で、私以外はみんなテニスのうまいレギュラーです。私だけが、テニスがうまくないのに部を辞めずに残りました。そのことをつらいとは思わない性格なんです。
自分についてよく思うのは、いわゆる「鈍感力」が強いということです(笑)。苦労しても、それを苦労とは感じないのです。

加来 それは、経営者として大切な資質ですね。

「家電メーカーではなく
家庭用品メーカーです」

加来 お父様(2代目社長の市川重幸氏)から、後継者として「帝王学」は学ばれたのですか?

市川 1981(昭和56)年の入社後、最初に配属されたのはシステム開発の部署だったのですが、それは父なりの後継者教育だったと思います。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 鷹野 晃


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本記事は、月刊『理念と経営』2026年1月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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