『理念と経営』WEB記事
巻頭対談
2025年12月号
自社の存在意義の “問い直し”が変革の力に

株式会社JTB 代表取締役 社長執行役員 山北栄二郎 氏(右)× 早稲田大学ビジネススクール教授 淺羽 茂 氏
コロナ禍という前例のない危機を見事に乗り切った株式会社JTBだが、同社はいまや単なる旅行会社ではなく、蓄積してきた「つながり」から価値をつくる“交流創造企業”へと変貌を遂げている。「不要不急の産業」といわれた悔しさをバネに、改革を主導してきた山北社長が語る「旅の持つ力」の可能性とは―。
自信と誇りを取り戻すために
重ねた「社員との対話」
淺羽 旅行業界全体がコロナ禍で甚大な影響を被ったわけですが、特に山北さんは、社長就任直後にいきなりコロナ禍に直面されました。その危機をどう乗り越えてこられたかが、読者がいちばん知りたいところだと思います。
山北 私が社長に就任したのは2020(令和2)年の6月で、そのころには売上が前年に比べて約8割も減っていました。弊社の事業の9割以上が人流に依存していましたが、その人流が完全に途絶えてしまったのです。
淺羽 どんな対策を取られたのですか?
山北 みるみるうちにキャッシュ(現金)がなくなっていきましたから、取引銀行との間で借入枠を速やかに設定し、資金を確保しました。コロナ禍の初期段階でこの資金確保ができたのは幸いでした。経営環境が悪化すればするほど、新たな資金調達は困難になりますから。
当社にはある程度の資産もあったので、「コロナ禍が短期で終われば、何とか乗り切れるだろう」という見込みを立てていました。ただし、将来の見通しはまったく不透明でした。しかも、感染拡大が少し収まったかと思ったら、また第何波がきて……というくり返しがきつかったですね。
淺羽 資金繰りに奔走された一方、山北社長はコロナ禍に社員一人ひとりと対話の機会を持ったと伺いました。
山北 はい。全員というわけにはいきませんでしたが、部長や支店長など、150人以上と1対1で対話を重ねました。
淺羽 それは危機感を共有するためですか? それとも、危機を乗り越えた先の明るい未来を示すためだったのでしょうか?
山北 両方ですね。1つは厳しい現状を社長の私からしっかり伝えることと、もう1つは社員たちに自信と誇りを取り戻させるための対話でした。というのも、コロナ禍で旅行は世間から「不要不急の産業だ」と見なされ、社員たちは自分たちの仕事の価値を根本から否定されたような感覚に陥っていました。さらに、コロナ禍により待遇面での厳しい判断を下さざるを得ず、賞与についても支給を見合わせることになりました。このような状況下で、社員のモチベーションと職業への誇りを維持することが重要な課題となっていたのです。
淺羽 1対1の対話では不満の声も出たでしょうね。
山北 出ました。ただ、不満の声よりはむしろ不安の声のほうが大きかったですね。そうした声にしっかりと耳を傾け、彼らが未来に希望を見いだせるような環境を整えていくこと、それが私の対話における重要な目的の1つでもありました。
淺羽 コロナ禍の時、航空会社ではCA(キャビンアテンダント)を飛行機以外の仕事に派遣していましたね。御社でもそれに類することがあったのですか?
山北 ありました。危機時の人件費負担は深刻な問題でした。それでも雇用を守るため、多くの社員を他の企業や行政へ出向させました。コロナ禍が収束した現在、この決断の価値が明確になっています。出向経験者たちが持ち帰った異業種の知見や新たな視点は、現在の事業運営において貴重な財産となっています。
淺羽 コロナ禍がもたらしたプラス面もあったわけですね。
「 人間にとって旅をすることに
どんな意義があるのか?」
山北 コロナ禍によるもう1つのプラス面として、自社の存在意義を根本から問い直す契機になったことが挙げられます。
淺羽 「不要不急の産業」といわれたり、人々が旅行で動くことが感染拡大につながるとやり玉に上がったりと、世間から厳しい声を浴びたからこそ、自社の存在意義に目を向けられたのですね。
山北 そうです。実際、コロナ禍になる前から、私どもは時代の潮流に合わせてビジネスモデルの見直しを迫られていたのです。かつては旅行会社だけが担えていた業務の大部分が、いまではインターネットを通じて一般の方々でも簡単に行えるようになったためです。
淺羽 航空券や宿泊先の予約、旅先での保険、現地の手配などをワンストップでできるのが旅行会社ですが、それらもすべて一般人がネットでできるようになってしまいましたね。
山北 弊社においても、そうした市場の変化に合わせて、この30年ほどでビジネスモデルの大幅な転換を図ってきました。しかし、一般的には依然として、「店舗で旅行予約サービスを提供する会社」という固定的なイメージで捉えられているのが現状です。
淺羽 実はコロナ禍以前から、旅行会社のビジネスモデルは大きく変わってきていた、と……。
山北 ええ。現在の旅行業界におけるステークホルダーの範囲は、極めて多様化しています。従来のホテルや航空会社、鉄道、レストランといった直接的なサービス提供者に留まらず、実際にはリネンサプライヤー、ホテル用アメニティの製造業者、農産物生産者、現地向け商品の企画・開発を手がける企業など、多岐にわたる事業パートナーがいます。「世界のGDP(国内総生産)の約10%は、旅行産業がつくっている」といわれているほどです。しかしながら、こうした旅行業界の裾野の広さや経済への貢献度については、社会全体での理解がまだ十分に浸透していないのが実情です。
構成 本誌編集長 前原政之
撮影 鷹野 晃
本記事は、月刊『理念と経営』2025年12月号「巻頭対談」から抜粋したものです。
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