『理念と経営』WEB記事

それでも諦めず、 理想を語り続けた日々

株式会社アライブメディケア 代表取締役 安田雄太 氏

3期連続の赤字。現場から噴き出る反発の声。「できない」「無理だ」と、社員の4割が辞めていった……。だが、あの窮地の中でさえ、安田社長の志がブレることはなかった。

大きな挫折感の中で
初めて自分と向き合えた

少年の頃からパイロットを夢見ていた。そのカッコよさに憧れ、脇目も振らずパイロットになることを目指してきた。大学で航空宇宙工学を学び、パイロット候補生として大手航空会社の内定を手にした。

だが、趣味のサーフィンが夢を奪った。サーフボードが左目に当たり重症を負った。完治してからも左目の視力は落ち、視野に歪みが出た。航空会内定も取り消しになった。

安田雄太さんは、自分の人生は終わったと思った、と話す。大空を飛べないのなら生きている意味がない、と。「でも」と言葉を重ねるのだった。

「大きな挫折感の中で初めて自分と向き合うことができたんです。自分は何のために生まれてきたのか。何ができるんだろうか。そんなことを考えました」

大学を休学して“自分探し”の旅に出た。スリランカの「ヒッカドゥワ」という海に面した街に長く滞在した。「世界中から挫折した若者が集まってくる」というこの街で、イスラエルの青年と親友になった。

悩みを話すと、彼は「ずいぶん小さなことで悩んでいるんだな。世の中は広いし、僕らは若い。これからじゃないか」と言う。他国の青年たちとの交流や一人旅の解放感、ゆっくり流れる南の国の時間の中で、徐々に心が再生していった。

「私は子どもの頃から人を喜ばせたり、自然に人のために手助けをしたりするところがあったんです。それなら、何か人の役に立つ仕事がしたい、と思ったんです」

警察官、消防士、医者……と考えた。叔父に相談すると、「2000(平成12 )年に介護保険が施行される。介護はこれからの業界だから、お前に向いているかもしれない」と助言してくれた。

「“まだ正解のない、新しい仕事”というところにすごく惹かれ、介護はやり甲斐がある、と思いました」

介護を学ぶために大学院に進み、医療福祉工学を専攻した。修士を終えた01(同13)年、荒井商店(不動産会社)が、その前年に立ち上げた介護付き有料老人ホームを運営するアライブメディケアに入社した。25歳だった。

まだ施設は「アライブかながわ」しかなかった。だが、小規模だったこともあって、他の施設に比べて入居者に寄り添った介護をしていること、これから東京への進出を考えていることが決め手になったという。

取材・文 鳥飼新市
写真提供 株式会社アライブメディケア


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年11月号「逆境! その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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