『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2025年11月号
自社の“光”を知り もっと先へ

株式会社竹中製作所 代表取締役社長 竹中佐江子 氏
あらゆる建造物の要である「ねじ」を作る竹中製作所は、いまや国内外の産業に欠かせない存在だ。強い中小企業の代表としても知られる同社の発展の理由を聞いた。
独自技術を磨き、
トップに上り詰めた
竹中製作所は、東大阪市に本社を置く老舗のねじメーカーである。普通鋼から特殊合金まで素材も、大きさも違う、実にさまざまなねじを製造している。
なかでも、フッ素樹脂をコーティングした「タケコート(R)-1000」(※(R)は登録商標マーク)や世界初となるカーボンナノチューブを表面加工した「ナノテクト(R)」といった防錆性、耐摩耗性、耐圧性など、付加価値の高いボルトを作る独自技術で知られ、この分野では世界トップシェアを誇る。
創業は1935(昭和10)年。現社長・竹中佐江子さんの祖父が艦船用のボルトやナットを作る会社を始めたのがスタートだった。いまではその「オンリーワン」の技術で、同社の製品は高速道路や橋梁、発電所、石油プラントなど、あらゆる分野で使われている。
――今年、創業90周年です。
竹中 11月に90年を迎えます。いま金沢・能登の社員旅行を企画しています。能登地震の復興支援として寄付させていただきましたが、能登に行き社員たちにも楽しんでもらいながらお金を使うのも復興支援の一つになると考えているんです。従業員はパート、アルバイトも含めて145名ほどですけど、90%近い125名が参加してくれる予定なんです。
――会社の一体感を感じます。
竹中 うちは社員の仲がいいんです。ものづくりに真剣に取り組んできたからでしょうか。真面目で、性格のいい人たちばかりです。
――それも御社の強みの一つだといえますね。入社は2009(平成21)年と聞いています。三姉妹のご長女だそうですね。
竹中 そうです。父はずっと「誰かは結婚するやろう。婿に継いでもらうから、みんな好きにしていいよ」と言っていたんです。私は英語を使った仕事をしたいと思っていたので、大学を出て住友商事に就職して営業をしていました。10年ほどした頃でした。楽しく働いていたんですが、急に帰ってきてくれという話があったんです。
――跡を継いでくれ、と?
竹中 いえ。経理の金庫番のような人が定年退職するから、身内の人間にお金関係のことを見てもらいたいと言うんです。私も経理なんかしたことがなかったので、ちょっと考えさせてくれと返事をして、1年半くらい考えました。
――家に戻られた決め手は何だったのでしょうか。
竹中 私が断って、何かお金に絡むことで会社に問題が起きたりしたら嫌やなと思ったんです。経理をやるなら帳簿も見れないと困るなと、まずは仕事が終わった後、夕方から簿記の専門学校に通って簿記2級を取りました。
――入社された時の経営状態はどうだったのですか?
竹中 良かったですよ。利益もしっかり出ていました。90年代初めに、父が、汎用品の大量生産から、オリジナル製品を開発して高付加価値経営をしていこうと方針を転換していたんです。ナンバーワンではなくオンリーワンを目指そうとしたわけです。
社員はもっと
自信を持っていい
父の弘忠さんが自社の経営を大きく転換した背景には、1985(昭和60)年のプラザ合意による円の急騰があった。
戦後の高度経済成長のなかで同社の売り上げの約6割を輸出が占めるようになっていた。そこに円高不況が直撃。輸出がストップし、売り上げが半減したという。
身を切られる思いで大幅な人員削減もした。そして危機を乗り切る一手として高付加価値の商品開発に舵を切り、苦心の末に開発した自社製品の第一弾がフッ素樹脂をコーティングした「タケコート(R)-1000」だった。その後、「ナノテクト(R)」をはじめ数々の製品を開発している。
――「タケコート(R)-1000」は海中でもかなり長期間錆びないそうですね。そこに着目されたのはなぜですか。
『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
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取材・文 中之町 新
撮影 宇都宮 寿輝
本記事は、月刊『理念と経営』2025年11月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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