『理念と経営』WEB記事

「縁(えにし)」を重ねて生まれた新市場

マツ六株式会社 代表取締役社長 松本 將 氏

進む高齢化に対応するために介護保険制度が施行されたのは2000(平成12)年4月。その前年、高齢者向けリフォーム建材の『バリアフリー建材カタログ』を完成させた企業がある。マツ六株式会社(大阪市天王寺区)だ。

「まったくの偶然で驚きました」

この事業を進めてきた3代目社長の松本將さんは、そう言う。マツ六は「建築金物のデパート」と呼ばれるほど充実した品ぞろえで評判の建築金物の卸問屋である。創業は1921(大正10)年。社名は、創業者である祖父の名前「松本六郎」に由来する。

将来を描く2つのキーワード

松本さんは、大手電機メーカーで3年半勤めた後、慶應義塾大学大学院で学んだ。MBAを取得して入社したのである。

― 入社されたのは、ちょうどバブルが崩壊した時ですね。

松本 そうです。どんどん建築が先細りになって、当社の商品である建築金物の受注も減ってきていました。なのに社内に危機意識が感じられない。“生ぬるい”んです。数字に関係なく、みんな定時には帰るし……。僕はバブル期の最後の頃に電機メーカーで営業をしていました。数字に対しても厳しく、土日も休みなしでした。そんな経験からすると本当に生ぬるい。

―理由は何だったのですか?

松本 その頃、多角化戦略ということで、金物以外にも宝飾品や高級衣料、電化製品などを全国約3500社の取引先に販売していたんです。その収入があったからかもしれません。しかし、僕にはいずれジリ貧になるとしか思えませんでした。だから「大事なのは本業回帰や」と言い続けたんです。

―耳を貸してくれた人は?

松本 いません。父ともよく言い争いました。会社を良くするために言っているのになんでわかってくれへんねんと、悔しくて屋上で泣いたこともありました。父は「そんなに急いで改革を進めるな」と言います。「古いパイプを90度に曲げようと思ったら、まずサビを落とさなあかん。丁寧にサビを落とせ」と。

僕としたら“一代一事業”というくらいの気持ちで、何か新しいことをやらなあかんという焦りがすごくあったんです。それで、多角化を強力に進める役員を説き伏せて、数人で新規事業部を立ち上げ事業の集約を断行していきました。

― 2代目は「急ぐな」とは言っても、改革や新規事業の必要性は認めておられたんですね。

松本 はい。父と会社の将来像について話をするなかで、2つのキーワードが出てきました。一つが「高齢社会」。もう一つが「新築からリフォームへという流れ」です。父は「この2つを掛け合わせた事業を考えたらどうや」と言い、僕も腹落ちしました。まったくのゼロベースから模索を始めたんです。

― それが「介護リフォーム」という市場の開発につながった、と。

松本 そうです。住宅のリフォーム市場について調べていると高齢者向けのリフォーム商材がほとんどないことに気づきました。ないなら自社でつくろうと考えたんです。


『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
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取材・文 中之町 新
撮影 宇都宮 寿輝


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年10月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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