『理念と経営』WEB記事
巻頭対談
2025年10月号
斜陽産業であるほど、 抜きん出るチャンスがある

株式会社獺祭 会長 桜井博志 氏(右)× 一橋ビジネススクール特任教授 楠木 建 氏
今年6月、それまでの「旭酒造」から社名を改称した背景には、「獺祭」の生みの親・桜井会長の「本格的に世界市場に打って出る」という強い思いがある。「杜氏不在」「四季醸造」「直販戦略」など、酒造りの常識を破る手法で、日本有数の酒造メーカーへと導いた経営力を、経営学者の楠木教授がひも解く。
業界の常識を破ってこそ
優れた競争戦略が生まれる
楠木 僕は、経営学の中でも競争戦略を専門としてやってきました。御社について、競争戦略という観点から考えますと、「ガリバーインターナショナル」(現・株式会社IDOM)との共通性を感じるんです。
桜井 ああ、中古車販売の。
楠木 ええ。ガリバーは日本で初めて買い取り専門の中古車販売を始めた会社ですが、それ以前にはごく普通の中古車屋さんでした。つまり、消費者から買い取った車を並べて消費者に売るという、BtoCのビジネスをやっていたのです。しかし、創業者の羽鳥兼市さんがある時、買い取った車を並べて売らず、BtoBのオークションに出すというビジネスモデルを思いつくんですね。
そのほうがプロ同士の取引価格がわかっているから、「この車ならいくらで売れる」とわかった上で買い取れます。しかも、大きな展示場がいらないし、販売員もアフターサービスもいらない。良いことずくめだと気づいたわけです。
桜井 なるほど。
楠木 でも、羽鳥さんがそれに気づくまで、中古車業界では誰も「買い取り専門」というビジネスモデルを思いつかなかったわけです。そのように、どんな業界にも「この業界ってこういうものだよね」という思い込みがあって。それはある程度の合理性を持っているから、みんながそれに囚われてしまいます。
そうした思い込みから解放される人が業界から出てきた時、一つの優れた戦略が生まれるというパターンがある。ガリバーの羽鳥さんと桜井会長は、まさにその好例だと思うんです。
桜井 確かに、結果的にうちの会社は酒造業界の常識をさまざま打ち破ってきました。杜氏抜きの酒造りとか、四季醸造とか、問屋を介さない直販などですね。でも、それは目の前の危機を乗り越えようと必死にあがいて見つけた方法であって、はるか先を見据えて競争戦略として考えたわけではありません。
むしろ、先を見据えてやったことが大失敗につながったことがあります。四季醸造を始める前のことですが、夏場に地ビールを造って、それだけでやめておけばよかったのに地ビールレストランまで造って、億単位の赤字を出して撤退したんです。それをやったのは、日本酒は冬に造るので杜氏は冬場しか仕事がなくて、若い人は杜氏になりたがらない現実があったからです。
楠木 杜氏が冬場にしか仕事がないというのは、元々は農家が農閑期にやる仕事として始まったからですね。
桜井 ええ。それと、昔は、日本酒を大量生産するには冬場の冷気を利用するしかなかったんです。でも、いまは空調が発達していますから、冬にしか造れないわけではありません。
楠木 昔は強い合理性があったやり方も、いまはもう合理性が失われている。それでも、業界の思い込みは続いていたわけですね。
桜井 そうです。冬にしか仕事がないという現実を変えようとして地ビールに手を出したわけですが、大失敗して、その結果、杜氏が「こんなところにいたら給料がもらえそうにない」と蔵人たちを引き連れて逃げてしまいました。その危機を乗り越えるために、仕方なく杜氏抜きの酒造りを始めて、いまに至るわけです。
楠木 それまでは杜氏の経験と勘が頼りで、属人的だった酒造りを、一つひとつのプロセスを記録し、データを集めてベストの状態を数値化するやり方に変えていったわけですね。
桜井 はい。幸運だったのは、自前の酒造りを始めた頃から、いろんなデジタル機器が一気に安くなったことです。それらの機器を使ってデータを集められました。
杜氏任せにしていた頃は、酒造りの知恵は杜氏しか知らないブラックボックスでした。それがいまは、社員たちが蓄積し、受け継がれる知恵になっています。しかも、四季醸造を始めてからは、うちの社員は杜氏よりもはるかに多い醸造回数を経験しますから、それが強みです。杜氏が逃げたというピンチがチャンスに変わったわけです。
楠木 「ピンチはチャンス」ではなく「ピンチがチャンス」。企業にとっては「ピンチこそ真のチャンス」なんです。なぜなら、会社のあり方を抜本的に変える改革は、ピンチの時くらいしかできないからです。また、「戦略としてやったわけではない」と桜井会長はおっしゃいますが、会長が危機を脱するために取られたやり方は、僕から見ればどれも見事な競争戦略になっていたと感じます。
「造る」ことだけではなく、
いかに「届けるか」にこだわる
楠木 いま、「獺祭」は純米大吟醸酒で日本一になっていますね。そうなれた理由を、会長はどのようにお考えになっていますか?
桜井 私が思うのは、酒造業界全体の傾向として、「造る」ことには熱心でも「届ける」ことへの熱意が弱いということです。「酒造りの面白さ」みたいなところでとどまってしまっている印象があります。
楠木 日本酒業界に限らず、文化性が高くて独自性があるビジネスほど、悪い意味でのクラフトマンシップ(職人気質)に走って、売ることが手薄になる傾向がありますね。
桜井 ええ。それに対して、うちは「造る」ことはもちろんですが、いかに「届ける」かにも徹底的にこだわってきました。
楠木 例えば、どういうふうにこだわってこられたのですか?
桜井 一つは「売る場所を選んだ」ということです。「獺祭」はコンビニでは売っていませんし、スーパーにも基本的には並んでいません。うちで選んだ酒屋と百貨店にだけ出しています。酒販店免許を持った店は全国に約13万軒ありますが、そのうちの約600店としか、直の取引はしていないわけです。
そうすることによって、うちが売らない相手から反発を買うリスクは、当然あります。しかし、「獺祭」というブランドを保つためには、広く売りすぎては駄目だという信念を持ってやってきました。
楠木 戦略の要諦とは、まさにそういうことですね。経営者はしばしば、二つの「良いこと」のどちらを選ぶかという意思決定を迫られます。本来、経営判断とはそういうもので、トレードオフ(一得一失)の選択なんですね。どちらか一方の「良いこと」を、戦略に則って捨てなければいけない。
桜井 おっしゃるとおりです。
楠木 御社の売り上げは、すでに半分近くを海外が占めているそうですね。海外で売ることに関して、「届ける」ためにどのような戦略を取ってこられたのですか?
桜井 とくに戦略というほどのものはないですね。「本気になってやった」というだけです。
うちの会社は、日本酒の輸出については後発です。酒造メーカーでは、早いところは1980年代から海外で売っていますし、地酒の酒蔵でも力のあるところは1990年代から海外に出ています。
うちは2005(平成17)年くらいからやっと海外進出を始めた酒蔵ですから、他よりかなり遅い。それでも成果が出ているのは、うちが海外で売ることに本気だったからでしょう。
構成 本誌編集長 前原政之
撮影 鷹野 晃
本記事は、月刊『理念と経営』2025年10月号「巻頭対談」から抜粋したものです。
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