『理念と経営』WEB記事
逆境!その時、経営者は…
2025年9月号
岐阜の企業が 福島に懸ける理由

浅野撚糸株式会社 代表取締役社長 浅野雅己 氏
高級タオルで有名な浅野撚糸株式会社。逆境を乗り越えた直後に、あえて火中の栗を拾い、挑戦した先にあった光景とは―。
知らない顔はもうできない
東日本大震災での原発事故から8年が過ぎていた。だが、その家々の時間は止まったままだった。
放射線量の高さから立ち入り禁止区域に指定された福島県の双葉町エリアである。テーブルに置かれたままの新聞、倒れた家具、台所には鍋や食器が散乱している。家を覆うように生い茂った植物の存在感だけが、年月の経過を物語っているようだった。
「その光景を見た時、泣きました。もう知らない顔はできない、と思ったんです」
岐阜県に本社を置く、浅野撚糸の社長・浅野雅己さんは、そう話し出した。
2019(令和元)年7月、経済産業省の生活製品課の肝入りで企画された被災地見学ツアーでのことだ。目的は、放射線汚染で翻弄された福島の復興事業の一貫として、双葉駅周辺の特定復興再生拠点区域に工場の誘致を呼びかけることだった。
「当初、僕は断るつもりで参加していたんです。ようやく借金の返済も目処がついて、なんとか息がつけるようになってきていた時期でした。ここで無理はしたくないと思っていました」
00(平成12)年ごろを境に、海外から安い繊維製品が入ってくるようになった。それに押されて経営が苦しくなり、03(同15)年には売り上げが3分の1まで落ち込んだ。どん底のなかで、浅野さんは「どうせ廃業するなら限界まで挑戦しよう」と独自に新製品を開発することを決意した。
2年の歳月をかけて新しい糸「スーパーゼロ」を開発した。07(同19)年には、吸水性や速乾性、風合いも桁違いのタオル「エアーかおる」を発売する。高価だったが、「一度使ったら虜になる」と多くの支持を得て、ヒット商品になったのだった。
震災後のアンケート調査では7000人いた住民たちの7・8割が戻りたいと回答していた。
「経済産業省や県、双葉町の担当者も『働き手はあるから』と力説します。相当、悩みました」
家族とも話し合い、新工場を出そうと決めた。
「もちろん被災地の復興に協力しようという気持ちが一番です。だけど、それだけじゃない。僕は、この地に勝機があると感じたんです」
取材・文・撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2025年9月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。
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