『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2025年9月号
挑戦し続けていたら、新しい景色が見えてきた

ポーラ美術館館長 野口弘子 氏
長崎ハウステンボスの開業メンバーとしてホテル業界へ飛び込み、やがて日本人女性として初の外資系ラグジュアリーホテル総支配人に。現在はホテル業に加え、ポーラ美術館館長を勤める野口弘子さん。そのバイタリティーの源とは。
業界異例の人事で、美術の世界へ
前進・後進を繰り返し、急斜面をジグザグに登る「スイッチバック」で有名な箱根登山鉄道を強羅駅で降りる。駅から無料のシャトルバスで深い緑の中を8分ほど走れば、ポーラ美術館に着く。
「ここに公共の路線バスで来るには、途中で乗り換えなければなりません。もっとアクセスをよくしようと、バスを走らせたんです」
2年前に館長になった野口弘子さんは、そう言う。バスもホスピタリティーの表れに違いない。
野口さんは長くホテル業界で働いてきたマーケティングやホスピタリティー・サービスのプロである。
アートは好きだったが、専門的に学んだことはなかった。そんな野口さんに、「ぜひ館長に」という声が掛かったのである。
「ほんとうに戸惑いました」
話を聞くと、もっと地域に根ざした美術館にしていき、ホスピタリティーも強化したい、と言う。
野口さんは、2006(平成18)年にハイアットリージェンシー箱根リゾート&スパの総支配人として箱根に来て以来、開業準備も含め11年間、その陣頭指揮を執ってきた。今では箱根の自然が気に入り、移り住んでもいる。
「確かに私は箱根の町民ですし、地域の人脈もあります。ポーラ美術館は大好きな美術館で、もう何十回となく訪れています。『でも、私でいいの?』と悩みました」
背中を押したのは、「学芸員がしっかりしているから、野口さん、美術のことはいいんです」という言葉だったそうだ。
「そうか、と思いました。期待されているのはマーケティングとオペレーションだとわかったんです」
施設運営ということなら、美術館もホテルも原理は変わらない。そう思って、野口さんは4代目館長を引き受けたのだった。
“偶然”が導いた場で、精いっぱいやる!
「考えてみると、これまで私は幸せな仕事人生を送ってきたと思います」
目の前の仕事に一生懸命取り組んでいると、決まって次のステージが用意されてきた。ポーラ美術館もそうだし、ホテル業界もそう。次々と挑戦の連続だった、と言う。
野口さんは、1962(昭和37)年、長崎県大村市に生まれた。両親は共に教師だった。
「私、小さな頃から決められたルーティンを繰り返すことが苦手でした。特に高校は進学校で受験勉強ばかり。もっとクリエーティブなことをやりたいと思っていたから、とても生きづらかったですね」
仕事に関わるうちにマーケティングという学問が実践で生きることを知った。面白くて本を読みあさり、のめり込んだという。
「マーケティングって、“1+1=2”ではなく、5にも6にもしていく手法なんです。どうお客様を集めるか。そこにクリエーティブな発想とロジックを傾注、実行し結果を出す楽しさに、ハマってしまいました」……
取材・文 鳥飼新市
撮影 後藤さくら
本記事は、月刊『理念と経営』2025年9月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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