『理念と経営』WEB記事
逆境!その時、経営者は…
2025年8月号
どんな事態が起きても、 常に「次の一手」を!

多田プラスチック工業株式会社 代表取締役 前田政利 氏
売り上げの6割を占める事業の一方的な打ち切り宣告に、茫然自失になった前田社長が、それでも自らを奮い立たせ、活路を探し続けた挑戦の記録―。
「死刑宣告を受けた気分。奈落の底に突き落された」
それは、翌年の創業100周年に向けて、会社全体がその準備で盛り上がっている時のことだった。
本社にショールームを開設し、自社の100年史を編み、ホームページもリニューアルした。
「100周年の記念行事は一流ホテルで、OBにも来てもらい盛大にやろうと企画していたんです」
社長の前田政利さんは、そう言う。
ところが突然、最大の取引先だった家電大手のシャープから「1年後に発注を打ち切る」という通達を受けたのだ。まさに晴天の霹靂だった。2018(平成30)年のことである。
多田プラスチック工業の創業は、1919(大正8)年。エボナイト(硬質ゴム)を使って印鑑の材料の製造販売を始め、セルロイドも扱うようになった。
戦後はいち早くプラスチックの射出成形の機械を導入し、やがてウレタン成形も手がけていった。
この射出成形と断熱材のウレタン成形の技術がシャープの冷蔵庫のドアの受注につながり、長い付き合いに発展したのだ。シャープとの取引は、同社の売り上げの6割ほども占めていたという。
「死刑宣告を受けた気分でした。奈落の底に突き落されたイメージです。一瞬、頭の中が真っ白になりました。怒りに任せて〝勝手にせいや〞と生産中止の指示も出せたんです。が、それはしませんでした。ずっと世話になってきましたから製品は完納しました」
予定していたホテルでの盛大な記念行事は止め、市民会館で昼食会にした。無駄な出費はできるだけ控え、この事態にいかに対応するかを考えた。
「いつまでクヨクヨしていても仕方ない。割り切って、次の手だてを考えるしかない。そう思いました」
約40年前、4代目社長に就任したとき、前田さんは「だからどうする」という行動指針を掲げた。
どんな事態が起きても「だからどうする」と次の手を考える。そんな社風をつくろうとしたのだ。この時も、「その社風が役立ちました」と笑うのだった。
オイルショックを機に、事業の「多柱化」を掲げた
大手デパートに勤めていた前田さんが多田プラスチック工業に入社したのは、1977(昭和52)年のことである。31歳だった。
義父で、3代目の久保通夫社長から、ずっと「入社してほしい」と口説かれていたという。73(同48)年のオイルショックの煽りで多田プラスチック工業は厳しい状況が続いていた。覚悟を決めて入社すると、すぐに第二次オイルショックが起こった。
「さらに状況は厳しくなりました。何とか新しい仕事を取っていこうと、当時の営業担当者や役員が走り回っていたんです。この先輩たちのチャレンジ精神には、頭が下がりました」
そんな中で「射出成形」に次ぐ2本目の柱として「ウレタン成形」を確立し、シャープとの本格的な取引も始まった。数年後には3本目の柱として「小型ポンプの製造」に挑戦し、その技術も確立した。
社長就任は86(同61)年。「ようやく底を脱して業績が上向きになった頃」だったそうだ。
前田さんは、以下のことを打ち出した。 一つは毎年「全社目標方針」を発表すること。必ず文書を配り、一つひとつ説明した。次に、これまであった「アイデアと技術で 社会に奉仕する 魅力ある会社」という社是を一カ所改めた。
「社是の『社会に奉仕する』のところを、時代に合わせて『社会に貢献する』に変えたんです」
取材・文・撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2025年8月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。
理念と経営にご興味がある方へ
無料メールマガジン
メールアドレスを登録していただくと、
定期的にメルマガ『理念と経営News』を配信いたします。