『理念と経営』WEB記事

高付加価値を生み出す人の集団をつくりたい

株式会社関ケ原製作所 代表取締役社長 矢橋英明 氏

売上高246億円、経常利益率10%を誇る関ケ原製作所(岐阜県関ケ原町)は、価格競争から距離を置くニッチ戦略で独自のポジションを築いた。競争優位を可能にする「全員主役の経営」のメカニズムとは。

大手は手がけない、中小には難しい領域を

天下分け目の大戦、関ケ原の古戦場の真ん中に関ケ原製作所はある。広大な15万平米の敷地に本社や工場などが並ぶ。

驚くのは、それらが木々に囲まれた緑あふれる芝生の中にあることだ。そこには数多くの彫刻が置かれ、工場の中にも絵画などの美術品が飾られている。

アートに囲まれた中で仕事ができる環境をつくる。それは創業者の矢橋五郎さんの「会社はみんなのもの」という創業の精神と、「仕事は人生を充実させるためにあり、職場は成長の場であるべき」と考えた2代目・昭三郎さんの思いから生まれたものだ。同社では、それを「人間ひろば」と位置づけ、全員主役の経営を目指してきたのである。

――創業は敗戦の翌年です。

矢橋 民主主義の世の中になったのだから社会に開かれたみんなの会社をつくりたいと、祖父が勤めていた家業の矢橋大理石商店を辞め、1人で起業したんです。

――「会社はみんなのもの」という創業の精神そのものともいえる志ですね。

矢橋 祖父はその言葉も含め「人間、皆、平等」「人の上に立つことは仕えることだ」「変化は進歩」など7つの信条を残しています。家を出る時、家業の石材事業はやらないと決め、国鉄(当時)向けに線路を切り替える分岐器などの生産を始めました。

――いまは幅広く事業展開をされています。事業領域が近いものから拡大されたのでしょうか?

矢橋 いえ、いろんな業界に視野を広げ、柱を増やしてきたんです。

――積極的に開拓された、と?

矢橋 はい。もともと技術も設備もない中で始めて、お客さんに教えてもらいながら事業を一つひとつ積み重ねてきました。祖父の五郎は「大手と付き合いなさい」とずっと言っていました。だから、取引先は業界ナンバーワン、ナンバーツーの企業がほとんどです。

――事業は7つと聞いています。

矢橋 そうです。簡単に説明しますと、まず鉄道。分岐器はJR東海の6割くらいのシェアです。2つ目はコマツの油圧機器です。これは鉱山機械の足回りや油圧シリンダーに特化していて、同社のグローバルな生産拠点に供給しています。3つ目が商船機器。甲板のクレーンを製造しています。4つ目は舶用特機で、防衛省や海上保安庁向けが中心です。5つ目は精密機器。半導体や液晶を作る機械の台になるマシンベースを手がけています。大手露光装置メーカーの製品に使われていて、1万分の1ミリの精度で平面を出しています。

――それはすごい!

矢橋 職人の手業でしか出せない精度です。6つ目の軸受製品では、ベアリングのキャップなどを作っています。7つ目が大型製品です。一品物の機械を設計から製造、アフターサービスまで一貫して行っています。

――売り上げ比はどうですか?

矢橋 油圧関連が5割くらいで、それぞれ残りが1割程度です。これらはすべて、大手では手がけない、中小では難しいニッチ領域の事業です。長い下請け時代を経て、なんとか高付加価値をつけ大企業と対等のパートナーになりたいと努力してきた結果です。強みは自動化、省人化・省力化できないものづくりです。これがわれわれの付加価値だと思っています。

「人間ひろば」の理念が腹落ちした瞬間

これまで関ケ原製作所は3度の経営危機があったという。

1度目はオイルショック(1973年)である。主要な顧客の倒産で大規模なリストラを経験した。責任を取り創業者が退陣し、三男の昭三郎さんが後を継いだのだった。

2度目はプラザ合意(85年)。円高不況で売り上げが半減。「賃金が減るなら、せめて楽しく明るい会社にしてほしい」という社員の声に、2代目は理念に「限りなく人間ひろばを求めて」を掲げ、「人間ひろば」づくりを始めたのだ。

そして3度目が90年代前半のバブル崩壊である。売価が大きく崩れた。その経験を契機に高付加価値事業に舵を切ったという。

――入社は1997(平成9)年ですね。

矢橋 30歳でした。大学を出て商社に勤めていました。叔父の昭三郎に口説かれたんです。叔父は、私に祖父の志を継いでほしかったのだと思います。

――会社はどんな状態でした?

矢橋 厳しかったですね。売り上げは78億円くらいだったと思います。バブル崩壊で付加価値の低い仕事がどんどんダメになっていき仕事を取っても利益が出ない、そんな苦しい状況でした。その中で叔父は頑張っていたんです。

――理念や創業の思いについても学ばれたんですか?

矢橋 叔父は、祖父の思いや「人間ひろば」の理念など、いろいろ語ってくれました。当時、私は若かったし、商社では「売り上げ第一」でやってきたので、正直、理念の意味などピンときませんでした。それでも……


『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
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取材・文 中之町新
撮影 亀山城次


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年7月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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