『理念と経営』WEB記事

武器は、前掛けと包丁とぶれない心

スタミナ苑「ホルモンの達人」 豊島雅信 氏

焼肉店「スタミナ苑」は予約をとらない。最寄り駅からも遠い。それでも世界中から「この店でホルモンを食べたい」と人が集まる。看板職人、豊島雅信さんの信じる道とは―。

この手のおかげで今の自分がいる

スタミナ苑の定休日は毎週火・水だ。水曜日は翌日の仕込みをする。ある水曜に店を訪ねた。

「いつものように店の片付けをして火曜の朝方帰るんだけど、その日は10時間以上は寝てるかなぁ」

豊島さんは、仕込みの手を止めずにそう言った。

「体を休めて体調を整えるのも料理人にとっての大事な“仕事”なんだよね。体を壊しても誰も代わっちゃくれないからさ」

目は手元に落したまま話す。その先には厚さ7mm、幅10cm四方ほどの白い内臓が置かれている。豊島さんは、その肉の両面に細かく隠し包丁を入れている。

「それはどこの部位ですか?」

「ハツモト。牛の心臓から出ている一番太い血管。これも旨いよ」

豊島さんは、2歳のころ、実家の精肉店のミンチ機に右手を突っ込み、指を2本失った。右拳は変形し物がうまく掴めない。だから、何をするにも左手を使う。包丁も左手で扱うのだ。

「僕は、この右手に感謝しているんです。ハンディがあったから、これまで頑張ってこられたと思う。“なにくそ。負けるか”って、ね」

小さい頃は、右手をからかわれ、悔しい思いもいっぱいしてきた。中学を出て、肉なら神戸だと、有名な神戸のステーキ店の門を叩いた。「うちは包丁を使う。手が悪いのは困る」と断られた。

負けん気に火がついた。「見てろよ!」と、母と兄で切り盛りしていたスタミナ苑で修業を始めた。

包丁を研ぐところから苦労した。砥石どころか、シャープナーですら上手く使えるまでいつも指の皮を削り、指紋がなかったという。

「だけど、いろいろ工夫して努力すればできるようになるんです。時間はかかったけど、砥石も使えるようになったし、レバーの皮も片手できれいに剥けるようになった。人間はできないと思えばできない。できると思えば何でもできる。やろうと思う気がなければダメだね」

やりたいという気持ちで、これまでバイクにも乗り、ゴルフやサーフィン、スキーにも挑戦してきた。

「仕事も遊びも同じ。何事も一生懸命のその先、人が10やるなら、もう1つやる。11までやるなら12やる。そういう気持ちでやらないといけない。結局、自分の敵は自分の怠け心なんだね」

そう言うと、豊島さんは強面の顔を上げて笑った。なんともいえないやさしい人柄が瞳の奥ににじむ、人懐っこい惹き込まれるような笑顔である。

トイレ掃除も自分でやる理由

営業は17時からである。毎日12時半には店に入る。豊島さんはホルモン担当で、それ以外の正肉はずっと兄の久博さんが切ってきた。

「うちの肉は、とてもいい肉で旨い。だから、僕は旨くていいホルモンも出せば絶対に流行ると考えたの。正肉だけ旨くてもダメ、ホルモンだけでもダメ。なんでも大事なのはバランスなんですよ」

夕方の17時。暖簾を出すと、もう大変な行列ができている。スタミナ苑は予約を取らない。1、2時間待ちは当たり前だ。政治家だろうが、有名人だろうが、ここの肉を食べるには並ばないといけない。

フェアである。何時間並んでも食べたかいがあったと客に思わせる自信と覚悟を感じる。今年の初売りの正月3日には、朝8時半から並んだ人がいたそうだ。

「一番で店に入ると、今年の運が開くと言うんです。驚いちゃった」

閉店は23時。スタッフが賄いを食べている間に、豊島さんはトイレを掃除する。

「嫌な仕事は上の者がやるの。すると、みんなも動いてくれる。“使い上手は儲け上手”って、ね。僕はそう思っているんだ」

取材・文 鳥飼新市
撮影 鷹野 晃


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年6月号「その道のプロ」から抜粋したものです。

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