『理念と経営』WEB記事
単発企画
2025年6月号
夫婦の思いを込め 最高の一本を世界へ

富美菊酒造株式会社
代表取締役兼杜氏 羽根敬喜 氏
営業部長 羽根千鶴子 氏
縮小する日本酒市場に耐え忍ぶか、それとも前例のない挑戦に可能性を求めるか。岐路に立った富美菊酒造の4代目はあえて困難を選び、常識外れの努力を重ねてきた。妻と二人、酒に向き合い続けた日々を思い語る。「極めないと何も変わらない」
酒蔵存続の道は一つ
ただし過酷な道だった
富山県富山市にある富美菊酒造は、1916(大正5)年創業の老舗の酒蔵だ。現在では「羽根屋」ブランドの商品が国内外で高い評価を受け、多くの日本酒ファンから愛されている。しかし、遡ること30年前、現・蔵元の羽根敬喜さんが家業を継ぐために富山に帰ってきたとき、蔵の経営は危機的な状況にあったという。
「正直、会社があと3年持つかどうか……。そのような厳しい状態でした」
当時、富美菊酒造は低価格帯の普通酒を主力商品にしていたが、日本酒市場の縮小と酒類販売免許の自由化による大手メーカーの進出が相まって、年を追うごとに業績が悪化していた。その状況を変えるため、羽根さんは「酒造りの本質」に立ち返ることを決意する。それはいまから振り返ると、100年の歴史を持つ富美菊酒造の第2の創業ともいえる決断であった。
「先代たちが積み重ねてきた酒造りの伝統に戻り、酒を通じて人々に喜びを届けるという酒蔵の本来の役割を取り戻すしかない、と思ったんです」
品質の向上こそが、酒蔵を存続させる唯一の方法だ――。羽根さんはそう信じ、そこから新しい道が拓かれる可能性に懸けたのである。そして打ち出したのが、「全ての酒を鑑評会に出す大吟醸と同じ手間をかけて造る」という大胆な方針転換だった。
「ただ、それを杜氏と蔵人たちに伝えたときは大反対されたものです。大吟醸と同じ手間をかけるということは、原料処理の要となる洗米から始まり、麴造りや発酵管理など全ての工程に細心の注意を払い、一つひとつを手作業で行うことを意味したからです」
例えば、大吟醸と同様の酒造りを行おうとすれば、10kgという少ない単位で米を洗い、吸水の工程をきめ細かく管理する必要があった。
「そんなことをしたら体が持たない」
そう言ってはっきりと拒絶したベテランの杜氏たちを、羽根さんはこう説得したという。
取材・文 稲泉連
写真提供 富美菊酒造株式会社
本記事は、月刊『理念と経営』2025年6月号「単発企画」から抜粋したものです。
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