『理念と経営』WEB記事
巻頭対談
2025年6月号
正しい道理に則った 「王道の経営」に立ち返れ

明治大学文学部教授 齋藤 孝 氏(右) ✕ シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役 渋澤 健 氏
「資本主義の暴走」「資本主義の行き詰まり」が指摘されるたびに脚光を浴びてきたのが、渋沢栄一とその経営思想だ。「いまこそ、日本人にいちばん必要な人物と教え」と訴え続ける齋藤孝教授と、渋沢哲学の普及活動に努めてきた栄一の玄孫・渋澤健氏との対談から浮かび上がる、名著『論語と算盤』の現代的意義と生かし方―。
教養は決断力の土台になるからこそ、経営者に不可欠
―『理念と経営』の読者には渋沢栄一を尊敬している方が多く、また、論語を学ぶための長期連載もあります。そこで、栄一の思想と、主著『論語と算盤』の現代的意義を巡って、お二人に対談していただこうと思った次第です。
渋澤 齋藤先生は、栄一や『論語と算盤』についての著書を多くお持ちですね。私は「『論語と算盤』経営塾」をずっと主宰しておりまして、今期で17期目になります。実は、始めたきっかけは経済同友会で知り合った新浪剛史(サントリーホールディングス会長)さんの一言だったんですよ。「『論語と算盤』の勉強会を、やっていますか。経営者にとって大切な学びになると思うので」と言われて始めたんです。
齋藤 一般的には「経営と教養は別物だ」と思われがちですね。例えば、大学の教養課程が経営に役立つと思っている学生は、あまりいないでしょう。でも、実際に経営者になると、「もっと教養を身につけないとダメだ」と痛感する人が多いようです。
それはなぜかと考えるに、経営者として難しい判断をするとき、自分の「精神の核」がないと判断に迷うからだと思います。言い換えれば、物事を幅広く見るための土台として、経営者には教養が不可欠なのです。
渋澤 おっしゃる通りです。経営者のいちばん大切な役割は、まさにその「難しい判断をする」ことにあると思います。どちらを選んだらいいのかわからないことを、決断して選ぶのが経営者の仕事なのです。
その決断が苦手で、「いま判断材料を待っているんです」という経営者が、たまにいます。でも、判断材料を待っている間に競合他社が先んじてしまうかもしれないし、状況は刻々と変わるものです。
だからこそ、ここぞというときに迅速に決断を下す力が、経営者には求められます。
決断を下す力を持つためには、経営者が現場のことを熟知すると同時に、全体を俯瞰する視点も併せ持たないといけません。その視点を持つために大切なのが教養だと思うんです。
齋藤 いま言われた決断力を豊かに持っていたのが渋沢栄一でしょう。そして、栄一の決断力は、彼の「完〔まった〕き常識人」としての円満な人格と関係があると思うんです。
円満な人格とは、言い換えれば、考え方・捉え方が一方向に偏っていないということですね。経営者が円満な常識人であれば、何か不祥事が起きたり失敗したりしたときにあまり燃え広がらずに済むし、そもそも、大きなミスをあまりしない気がするんです。
渋澤 栄一の持っていた「完き常識人」「円満な人格」という資質は、別の角度からいえば「知・情・意」のバランスがよかったということでしょうし、論語にいう「中庸の徳」を具えていたということでもあるでしょう。
「中庸」の概念には、「真ん中」を意味するというイメージがあります。でも、中国古典学者の守屋淳先生によれば、「真ん中」よりも「いちばんよい場所」というニュアンスのほうが強いそうです。足して2で割った真ん中が中庸なのではなく、高い次元から見下ろして、バランスの取れたベストポジションを選ぶイメージでしょうか。つまり、中庸であるためには全体を俯瞰する視点が不可欠だというのが論語の考え方であるわけです。
正しい道理を欠いた経営は、一時的に成功しても永続性がない
齋藤 俯瞰する視点という話から思い出すのは、アダム・スミスが『道徳感情論』で、社会における競争には「フェアプレーの精神」が不可欠であり、だからこそ道徳が競争の基盤とならねばならないと書いたことです。その主張の延長線上に、のちの『国富論』もありました。
スミスは、フェアプレーのためには「公平な観察者」の視点が必要だとも書いています。スポーツでいえば審判の立ち位置であり、まさに俯瞰する視点ですね。自社の利益だけを考えるのが地面からの視点だとしたら、高い次元から社会全体も考えるのが俯瞰の視点です。アダム・スミスと栄一は、その視点を共有していたのだと思います。
渋澤 たしかにそうですね。栄一は『論語と算盤』で、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と言っています。
「正しい道理」とは、自社だけの利益を追い求めるのではなく、社会全体の利益を考える視点を持つ主体性ですね。その視点が欠けた経営は、一時的には成功しても永続性がないというのです。
齋藤 福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、英語の「rights」を「権利」ならぬ「権理」と訳しました。それは栄一の「正しい道理」に通じる気がします。つまり福沢は、利益の追求ではなく正しい道理の追求こそが「rights」だと解釈したわけです。
「right」には「正しい」という意味もあり、元々「社会を貫く正しい道理」というニュアンスもあります。そのまま「権理」という訳語が定着していたら、権利という概念のイメージもいまとは少し違ったかもしれません。
渋澤 「合理的な経営」というと、いまは「効率や生産性を高めるための経営」というイメージになります。でも、栄一が言う「合理的」とは、「正しい道理にかなっている」というニュアンスですね。重んじたのは道理の理であり、理念の理なんです。
人に任せるための胆力と、任せる人の力量を見抜く力
渋澤 私が齋藤先生と初めてお会いしたのは、記録を調べたら、15年前のある雑誌における対談でした。そのときのテーマもやはり渋沢栄一で、今回、15年ぶりの対談となります。
齋藤 そうでしたね。よく覚えています。
構成 本誌編集長 前原政之
撮影 伊藤千晴
本記事は、月刊『理念と経営』2025年6月号「巻頭対談」から抜粋したものです。
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