『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2025年5月号
「まっ、いいか」の精神で、笑顔あふれる未来をつくる

歌手・「国境なき楽団PLUS」代表 庄野真代 氏
「飛んでイスタンブール」などの大ヒット曲を持つ庄野真代さんは、音楽を軸にした多くの社会貢献活動に携わっていることでも有名だ。そうした活動をする真意を聞いた。
小学校の頃から疑問は声に出した
古希である。が、とてもそんなふうには見えない。1970年代後半に「飛んでイスタンブール」で一世風靡したミュージシャンの庄野真代さんのことだ。
「“年齢の8掛けで生きよう”と心がけているからですかね。そうするとラック(運)を手にしやすいんだそうです。この話を聞いてから、これで行こうと思いました」
そう言って、笑った。若さの秘密は“精神の柔軟さ”にあるに違いない。音楽活動をする一方で、環境問題や貧困の問題など社会課題についても問題意識を持ち、好奇心旺盛な行動派であることは、つとに名高い。NPO法人「国境なき楽団」を立ち上げ、音楽を通した社会貢献活動を長く続けていることでも知られている。
その「国境なき楽団」では、大きく4つの活動を続けてきた。
高齢者や障がい者施設、学校への訪問コンサートなどを行う「TSUBASA」。アメリカ同時多発テロ事件を契機にニューヨークで毎年開かれる平和コンサートに呼応した東京発の「セプテンバーコンサート」。使わなくなったリコーダーやハモニカといった楽器を開発途上国の子どもたちに贈る「海を渡る風」プロジェクト。そして、東京・下北沢の「コムカフェ音倉」の運営である。
「音倉は、いろんな人に表現の場として使ってもらおうと思っています。唯一、私たちの活動の中で収益を生む場でもあるんです」
寄付や補助金に頼っているだけでは、活動を自立的に長く続けることはできないと考えているからだ。
真代さんは、1954(昭和29)年に大阪で生まれた。子どもの頃から歌が大好きで、歌謡番組が始まると一緒に歌っていたという。
社会的関心も旺盛で、「小学校の頃から男女同権主義者だった」そうだ。どうして出席簿は男子からなの、なぜ朝礼は男子が前なの、といくらでも疑問が湧いた。中学校では女子で初めて生徒会長になり、男子は丸刈りという規則を変えて髪型を自由にした行動力の持ち主でもある。
「当時から納得できないことに対して、なにか解決法はないかと探すのが好きだったのかもしれません」
なかなか筋金入りなのである。
世界を旅したら知らないことだらけ
「飛んでイスタンブール」に続き、「モンテカルロで乾杯」とヒット曲を出し続けていた80(同55)年、真代さんは突然、休業宣言をし、2年間の世界旅行に出る。
この旅が転機になった。“旅人”をしながら地球の素顔を見たいと思った。旅行者ではなく、旅人。この違いは大きい、と話す。
「私が思い描いていた旅人は、現地の人たちと同じものを食べ、同じような暮らしをして、風を感じ、雨を感じ、土を感じ、人々と握手し合っていけるような旅をすることでした」
1つ目の国はタイ。バンコクから数時間バスに揺られて行ったビーチで、運転手と夕食を食べていると、彼がこんな話をしたという。
「ここでは日本に輸出するエビを育てるために養殖池を盛んに作っている。マングローブが伐採され、景観は壊れ、魚もいなくなっている。日本からきたあなたは、この現状をどう思いますか?」と――。
「ドカンと大きな石が降ってきた感じでした。なにも答えられません」
旅の最初から衝撃を受けた。世界には知らないことがいっぱいあると思った。2年間の旅は、すごく収穫の多いものになった。
帰国後、音楽活動を再開してからは、環境問題のイベントなどに呼ばれることも多くなった。
「だけど、私は自分の体験、自分が見たことや聞いたことを話しているだけだなと思って……。これは勉強しないとダメだなと思うようになっていったんです」
取材・文/鳥飼新市
撮影/後藤さくら
本記事は、月刊『理念と経営』2025年5月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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