『理念と経営』WEB記事

春日井でいちばんの企業に必ずなる!

株式会社永賢組 代表取締役 永草孝憲 氏

格闘家の夢を諦め、家業を継いだ理由

愛知県春日井市で建築・土木・不動産を請負う永賢組が産声を上げたのは、1955(昭和30)年のことだ。

3代目の永草孝憲さんは、創業者の祖父・賢治さんの思い出を、こう話す。

「僕には優しいおじいちゃんでしたが、親分肌で、腹が据わった人でした。一度、家に怒鳴り込んできた人がいたのですが、祖父はまったく動じなかったことを覚えています」

面倒見がよく、職人たちにも食事をふるまい、家にはいつもいろんな人が出入りしていたという。そんな祖父が亡くなったのは、父の利行さんに代を譲った2000(平成12)年だ。永草さんは20歳。プロの総合格闘技選手を目指し修行に励んでいた。

「葬式で、大勢の人が祖父の棺桶を前に感謝する姿を見ていて、ふと自分が好きなことをやれているのも祖父のおかげかなと思ったんです。自分は家を継ぐべきなのかもしれないと、初めて考えました」

だが、それからも「孝憲はいつ戻ってくるんだ」という父の話を伝え聞きながら、格闘技の修行を続けた。会社を継ぐか、格闘技を続けるか。「このままでは中途半端になる」と、会社に入ったのは25歳だった。

ところが、入社して驚いた。子どもの頃は生き生きと活気があった会社が、どこか元気がない。

「昔は働いている人たちに近所からおにぎりやスイカが届き、地元の人からも愛されている感じでした。ところが、みんな疲れ切っているというか、仕事に手応えをなくしているように思えたんです」

父は、経営の勉強をするために、ある経営塾に通わせてくれた。3年、学んで戻ってきた時、初めて会社の決算書を手にした。売り上げは20億円ほどあった。しかし、みんなの給料は低いままだった。

「なにか問題があるのかと疑問を感じて塾でお世話になった方に見てもらいました。すると、『この決算書おかしいぞ』と言われました。未収入金の回収もできていないし、売掛金も毎年膨らんでいる……と」

何期も5000万円の赤字が続き、債務超過が7億円ほどあった。だが、何の手も打たれていない。

「このままだと1年で倒産する、と言われました。会社が沈んでいる理由はこれだったんです。自分がなんとかしなければいけない。初めて、そう思いました」

儲からない仕事を勇気を出して切る

会社をつぶさないためには絶対に赤字を出せない。永草さんは背水の覚悟で毎日を過ごしたという。まずやったことは徹底したコスト削減だった。

材料業者や下請けの業者にも価格の相談に行き、父や自分の給料を大幅に下げ月5万円にした。社員たちの給料も2割ほどカットさせてもらい、赤字体質を脱却するまでボーナスも我慢してもらった。

「倒産するかどうかの瀬戸際で僕も必死でした。社内では嫌われ者だったと思います。挨拶しても、誰も挨拶を返してくれませんでしたから」

慢性的な赤字体質の原因は、数字をまったく見ていなかったことに尽きた。売り上げが出ているので安心し、どれくらい利益があるかどうかの詳しいチェックを誰もしていなかったのだ。

「父に数字がわかる有能な人がついていたら、ここまでにはならなかったと思います。何億円という受注の工事でも、いろいろ経費がかさみ、赤字になっている状態でした。仕事を請けると、実行予算も作らずにいきなり工事に取りかかっていたんです」

永草さんは、自分も営業に歩く一方で、厳しく数字をチェックしていった。工事ごとに実行予算を作成し、工事計画の変更や材料費、人件費の変化があれば、その都度、作り直した。これまでは利の薄い仕事も請負っていたが、利益の出ない仕事は請負うのを止めた。

「相手が年上の専務や常務でも、『この仕事は儲からない』と数字を示して言いました。『何も知らん若造が』と言い返されて、よくけんかになりました。だけど僕が引いたら会社はつぶれます。嫌われ役を引き受けました。どう思われてもいい、という気持ちでした」

取材・文 編集部
写真提供 株式会社永賢組


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年4月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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