『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2025年4月号
“きれいごと”は現実化できる!

未来工業株式会社 取締役相談役 山田雅裕 氏
働きやすい勤務体系で、業績も右肩上がり。そんな未来工業(岐阜県安八郡)の経営は評判を呼び、12人の新卒採用枠に850人以上が受けにきたこともある。理想を体現する経営の“肝”は、いったいどこにあるのか。
「人と同じことをしていたら負ける」
電気設備の施工に必要な電設資材の総合メーカーとして出発した未来工業。創業は1965(昭和40)年である。創業者は2人。岐阜県大垣市で「未来座」という演劇グループを主催していた山田昭男さんと清水昭八さんだ。“より自由に演劇活動をしたい”という思いが会社設立の動機だったという。
電気工事施工者に寄り添う便利な製品を次々に生み出し、創業以来右肩上がりの成長を続けてきた。残業なし、休日も多いなどユニークな社風で知られ、「日本一のホワイト企業」「日本一社員が幸せな会社」として名を馳せている。
――昨年3月期の決算は過去最高益だと伺っています。
山田 はい。製品の値上げが大きいことが理由ですが、ありがたいことに、値上げしても「しょうがねぇ、付き合ってやるか」というお客様が多いんです。
――信頼の厚さを感じます。
山田 うちには付加価値の高い、便利な「省施工商品」といわれる製品が多数あります。第1号の商品からして、そうでした。
――ジョイントボックスですか?
山田 そうです。電線の保護や結線・分岐を行うもので、すでに何十社もの会社が作っていました。
うちは後発メーカーでしたが、創業者の1人・清水昭八がビス穴に工夫を凝らし、施工中にビスが落ちないようにしたものを作りました。価格は他社の1・5倍。だけど売れました。天井など、ボックスを高い所に付けなければならないときにすごく手間が省けるんです。電動ドライバーも磁石付きのドライバーもない頃でしたから、皆さん苦労されていました。
――確かに便利ですね。
山田 うちの商品カタログには、工事施工をする人たちが「こんなものがあったらいいな」と思う物がいくつもあります。そこが信頼の源で、清水昭八の力です。こうした商品の7割か8割は清水が考えたものと、その派生品。未来工業は、天才肌で発明家タイプの清水昭八と、相棒の山田昭男の経営センスが上手く組み合わさって成長していった会社なんです。
――昭男さんは、山田さんのお父さんに当たります。どんな人物だったのですか?
山田 正月三が日以外は、毎日会社に行っていました。晩年は、自分が「鵺」と表現されることを面白がっていましたね。獣か鳥かわからない、妖怪の「鵺」。人と同じになることを恐れていたのではないか、と思います。未来工業を創ったときから、父は「人と同じことをしていたら勝てない」と思っていたんです。
――どうしてですか?
山田 電設資材のメーカーの多くは、照明なら照明、スイッチならスイッチだけを作っている専門メーカーです。ところが、うちは電設資材の中で電気を通さない「雑材」と呼ばれる分野の総合メーカーでした。ライバルはというと、松下電工(現パナソニック)しかなかったんです。
――ガリバー企業ですね。
山田 そこに挑むわけです。人と同じことをしていたら負ける、と父は考えていたんだと思います。
命令しても社員はやる気にならない
――入社されたのは1987(昭和62)年です。
山田 大学を卒業する頃に「入ってほしい」と、母から言われました。それで入社したんですが、ついたニックネームが「ななちゃん」でした。七光りの「なな」です。
――それはつらいですね。いくら頑張っても正当に評価されない。
山田 その通りです。何をしてもそういう目で見られました。だけど、仕事が面白かったので頑張れたということが大きいと思います。
――面白かったと言いますと?
山田 もう全部です。本社から松本営業所、戻って製造の事務に移り、山形の工場長をやって、また本社に戻って監査室へと、変化が激しかったですから。監査室の時にはいろんな営業所を回り、それぞれの営業所やそこで働く人のことを知ることができました。一番面白かったのは、グループ会社の神保電器に行ったことです。
――神保電器の社長になられたのが2008(平成20)年ですね。
山田 その前年に役付部長で行って、社長になりました。神保電器はスイッチやコンセントが専門の老舗メーカーで、1965(昭和40)年くらいまでは独占企業でした。ところが競合企業が増えて神保電器のシェアが減っていった。もう駄目かという時に、未来工業がM&Aで救ったという経緯がありました。
――業績が落ちた理由は?
山田 納期の遅れです。他社よりいい商品を作るためにお客様に1日待ってもらう。1日のはずが、2日になり4日になり、いつしか1カ月くらいの納期になったようです。他社は注文すると翌日に届くんです。相手にされませんよ。
うちのグループになってから、だんだん納期を短くしていき、私が入った頃には翌日出荷、翌々日納期にまでなっていました。だけど、それが限界だとみんな思っていたんです。その頃はマンション等の施工が増えていて業績は良かったですし。
――すぐにリーマン・ショックが起こったと聞いています。
山田 社長になって3カ月目です。マンションの計画がどんどんなくなり、神保を贔屓にしてくれていた不動産販売会社(デベロッパー)がいくつも倒産しました。本当に坂を転げ落ちるように業績が悪くなっていくんです。すごく暇になりました。
私は、今ならできるだろうと思って、納期短縮について……
「省施工商品」の第1号・ジョイントボックス。清水昭八さんが取得した特許権507件・実用新案権306件・意匠権921件は、同社が誇る高付加価値商品の提供力の源泉となった
取材・文 中之町新
撮影 亀山城次
本記事は、月刊『理念と経営』2025年4月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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