『理念と経営』WEB記事
特集2
2025年4月号
小さな事業部だったから、経営視点を持てた

パナソニック コネクト株式会社 代表取締役 執行役員プレジデント・CEO 樋口泰行 氏
華麗なキャリアを歩み、現在“古巣”であるパナソニックのB2Bを担うパナソニックコネクトのトップとして活躍する樋口泰行さん。その意外な原点とは?
配属先は、まさかの「溶接事業部」
樋口さんは日本ヒューレット・パッカード、ダイエー、日本マイクロソフトの社長などを経て、かつて新卒で入社したパナソニック(当時は松下電器産業)に、役員として25年ぶりに「出戻った」ことで話題になった。新卒入社時、実は想定していなかった配属から、キャリアをスタートさせていた。
「(松下電器産業は)大阪で電気工学部で学んでいたら、当たり前のように選択肢に入る会社でした。ただ、入社して何をしたいのかは、あまり考えていなかった。希望部署を聞かれて『営業もやってみたい』なんて会社に伝えてギョッとされたりもしましたね」
ただ、決めていたことがあった。会社に入ったら、とにかくガムシャラに仕事に挑むこと。社会に出たら、早く活躍したいという思いを強く持っていた。
「勉強したことが、すぐに仕事に生きてくるんだろうな、と思っていました。ちょっとひねくれ者で、目的のないことにはあまり興味が持てなかったんです」
エネルギーの高い状態で働くことで、成長も早まると考えていた。研修にも、夢中で取り組んだ。そして発表された配属先は、溶接事業部。テレビ事業部やビデオ事業部といった当時の最先端を行く職場ではなかった。溶接事業部は技術的にはほとんど成熟している職場。しかも、当時はいわゆる3K(キツイ、汚い、危険)の職場だった。毎日、分厚い防護服を着て、真夏は蒸し風呂のような環境。一日作業すると全身は粉塵だらけ。当初は、毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。
「配属された以上は、技術者として磨きをかけていこう、と考えていました。ただ、研究所やテレビ事業部など、先端の配属先に行った同期に対して、焦りのようなものがやっぱりありました」
だが、半年ほどで樋口さんは意識を変える。ここでまずは一人前になる、と腹を括るのだ。
「花形的な製品でも、傍流的な製品でも、仕事のやりがいは変わらない、と思いました。どこに配属されても、それぞれが悩みを持つし、苦労もする。そういうことも悟りましたね」
花形部署でないことがある意味、幸運だった
そしてもう一つ、強く感じたことがあった。
「一つのところで忍耐強くできなかったら、移ったとしても、また悩みや苦しみにぶつかったとき、同じように逃げたくなるのでは、と思ったんです。だから、ある一定の仕事を達成するまでは頑張ろうと思ったんです」
それが、顧客に何かを尋ねられたとき、自分で答えられるようになること、だった。
「もちろん最初はわからないことだらけですが、『ちょっと先輩に聞いてきます』『上司に聞きます』というセリフを言わずに済むようにする。自分で答えられるように、まずはなるぞ、と」
『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
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取材・文 上阪 徹
撮影 後藤さくら
本記事は、月刊『理念と経営』2025年4月号「特集2」から抜粋したものです。
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