『理念と経営』WEB記事

人は心が動かないと体は動かない

株式会社春野コーポレーション 代表取締役 鳥居英剛 氏

資金繰りの試練を乗り越えた後に立ちはだかった2つ目の壁。窮地を脱する手がかりとなったのは、“経営の神様”である松下幸之助氏の英知の言葉だった。

家業を守るためにも経営改革をするしかない

独立心が強く、猪突猛進タイプだと、鳥居さんは自分の性格を分析する。「だから、会社勤めはできないなと思っていました」。そう言って、笑った。

高校を卒業すると、アメリカに2年、本人いわく「遊びに行って」、20歳のときに帰国。1年間、養豚の研修を受け、父が創業した春野種豚牧場株式会社に入社した。2001(平成13)年のことである。

牧場では、生後6カ月の雌豚を、全国の養豚場に子豚を産む「種豚」として卸していた。

07(同19)年に、同社の半分ほどの規模の種豚牧場が売りに出た。「チャンスだと思って、父に保証人になってもらい、この牧場を買い取って独立したんです」。さらに翌年、もう1つ別の牧場も取得し、鳥居さんは2つの牧場の経営者になった。

そうして2年ほど過ぎた頃、春野種豚牧場から資金援助をしてくれないかという依頼がきた。

「2000万円ほど貸してほしい、と言うんです。僕も自分の会社で手いっぱいで、春野のほうは見ていなかったんですが設備投資もしてないし……。“どうしてお金がいるんだろう、変だな”と思ったんです」

決算書を見せてもらうと、1億円ほどの借り入れがあった。売り上げの3分の1に相当する金額だった。

「詳しく決算書を見ていくと、支払いはたまっているし、もうボロボロでした。どれだけの入りがあって、支出があるのか。経営の実態がわからないんです」

自分の会社はうまく回っていたが、資金援助するだけの体力はまだなかった。

「家業を守るためにも経営改革をするしかないと、僕が経営を買って出たんです」

月末になると支払いが滞っている取引先から催促の電話がひっきりなしにかかってきた。銀行に行っても、融資などしてくれない状況だった。

養豚場の最も大きな経費は餌代で、売り上げの半分ほどになるそうだ。鳥居さんは、真っ先に餌メーカーに支払いを待ってもらえないかと相談に行った。創業以来のつきあいの会社で、支払いを待ってくれたばかりか借入金の保証人にもなってくれた。

「ありがたかったですよ。これで一息つけました」

経営改革のために、まず手をつけたのは決算書を会社の現状に即した誠実なものにすることだったという。餌メーカー以外の取引先にも事情を話して待ってもらい、未回収の売掛金の回収に回った。

「どこも苦しくてなかなか回収できませんでした。それでコスト削減のために餌の管理を徹底したんです」

餌を無駄にしないように餌箱の調整に目を光らせ、「自分が言う以上の餌を買うな」と無理難題ともいえる指示を各牧場に伝えて回った。社員の「豚を殺す気か」というケンカ腰の抗議も気に止めなかった。辞めていく社員が増えたが、幸い募集をすれば人は確保できた。

とにかく経費を節約し売りを高くすることを考えて、自分がこうと思ったことを強引に進めていった。

取材・文・撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年3月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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