『理念と経営』WEB記事
企業事例研究1
2025年3月号
お客様第一のおもてなしで 社員も店も共に育つ

株式会社人形町今半 代表取締役会長 髙岡慎一郎 氏
幾多の危機を乗り越え、歴史を重ねてきたすき焼の名店・人形町今半(東京都中央区)。髙岡会長はかつて抱いた悲喜交々の思いを胸に、同社の未来に目を向ける。
父の功績を継ぎ
いいところを伸ばした
今半の創業は1895(明治28)年。東京は本所吾妻橋の牛鍋屋がルーツである。その後、今半本店、今半別館、今半と枝分かれしていった。
人形町今半もその一つで、1952(昭和27)年に今半の人形町支店として開業。4年後の56(同31)年に、現会長である髙岡慎一郎さんの父・陞[のぼる]さんを社長として独立した。髙岡さんは創業から数えると5代目、人形町今半としては2代目になる。
ー明治期の牛鍋は庶民的な食べ物だったようですね。
髙岡 はい。私どもの昔の品書きを見ますと牛鍋1人前はビール1本より安かったようです。
―それがすき焼になったのは関東大震災以降だったとか。
髙岡 その前から牛鍋に付加価値をつくりたいと関西流の「すき焼」と言い始めていたようです。そのころ、浅草界隈には550軒ほどの牛鍋屋があったそうなのですが、関東大震災で町が全滅すると安価な店は再建が難しかったようで、私どものような高級路線に転換し始めた店が生き残ったという経緯があります。
―髙岡さんは27歳で入社されたと伺っています。
髙岡 はい。大学を出て、4年ほどコンピューター販売会社にいて戻ってきました。86(同61)年です。すでに当時は社員数が250人ほどになっていて、売り上げも35億円くらいありました。子どものころの記憶で、人形町今半は家族経営の小さな料理屋だと思っていたのですが、これは違うと思いました。偉そうに「親父が思っているより、この会社、大きいよ」という話を父にしたことを覚えています。
―単なる家業ではない、と。
髙岡 そうです。父もそれは十分にわかっていて、なんとか企業にしていこうと経営理念などを一生懸命に作っていました。
―いまの理念ですか?
髙岡 はい。「お客様第一主義」を謳った理念です。もう一つ思ったのは、教育の仕組みが会社になかったことです。ずっと中途採用をしてきたのですが、私が戻ってきたころから調理師専門学校の新卒を採用するようになりました。前の会社で新入社員研修を受けたことを思い出して、父に「新入社員研修をやりませんか」と進言したんです。父もすぐに認めてくれ、これが当社の社員教育のスタートになりました。
―先代はアイデアマンでもあったそうですね。
髙岡 すごかったです。アイデアでは誰も父に勝てません。
―すき焼を温かいまま弁当にしたり、しゃぶしゃぶや精肉販売も始めたり……。
髙岡 クレープ屋や喫茶店、パブもやりました。ハンバーグ屋をやろうとしたこともありましたね。改めて考えてみると、私がやった仕事というのは、父が広げた間口をそぎ落して、いいところだけを磨き上げしっかり伸ばしたことだといえるかもしれません。
窮地に陥って気づいた
お客様が来てくれる理由
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取材・文 中之町新
撮影 富本真之
本記事は、月刊『理念と経営』2025年3月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。
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