『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2025年2月号
ごみ清掃と出合って、世界が変わった

お笑い芸人・ごみ清掃員 マシンガンズ 滝沢秀一 氏
お笑い芸人28年目、ごみ清掃員14年目。滝沢秀一さんは、ごみ清掃の現場を知ってから、芸人活動と並行してごみにまつわる周知活動を行うようになった。お笑いもごみ清掃も「辞めない」滝沢さんの思いを取材した。
初めは、お笑いを続けるためだった
段ボールの回収日が雨だと出すのをためらう。段ボールが雨でぬれると破れやすくなって、運びにくいだろうなと思うから――。
そんな話をすると、
「それよりも大変なのは段ボールが水を吸って重くなることです。まるで水の塊を回収車に投げ入れているみたいなんですよ」
と、滝沢秀一さんは言うのだ。
10年ほど前のことである。
「雨が降った朝のダンボールは水を吸っていてコンクリートのように重い」
X(当時のTwitter)で、滝沢さんはそう発信した。
それを所属事務所の先輩芸人である有吉弘行さんがリツイートして反響を呼び、徐々に「ごみ清掃芸人」として知られるようになった。
滝沢さんは、1998(平成10)年に西堀亮さんと、お笑いコンビのマシンガンズを結成した。世の中の変なことや腹立たしいことを互いにぼやきまくるという〝Wツッコミ〞のスタイルで、2007(同19)年、08(同20)年には漫才トーナメント『M-1グランプリ』の準決勝まで勝ち残った。
「当時は結構テレビにも出ていたのですが、だんだん仕事がなくなっていきました」
そして、36歳のとき、妻が妊娠した。12(同24)年である。「その頃には仕事はゼロでした」と滝沢さんは笑う。出産費用を捻出しなければと仕事を探した。36歳という年齢、さらには芸人を続けるために週5日フルで働くことはできないという条件では、なかなか見つからなかった。
もう芸人を辞めるしかないかと思った。だが、それは無理だった。
「執着かもしれません。だけど、一度でも会場が揺れるほどの爆笑を経験すると、芸人はなかなか辞められないんです」
そんなとき友人が、清掃の労働組合の仕事を紹介してくれた。日給制で、ライブやオーディションの日には休むことができた。
これで収入も得られるし、お笑いも続けられる――。
滝沢さんは、そう思った。
「日本一のごみ清掃員になろう」
ごみ清掃はキツかった。
組合の仕事は、人手の空きによって現場が変わる。清掃の日は朝5時に起きて、その日割り当てられた会社に向かう。8時から回収を始めて回収車が満杯になると清掃工場に戻り、ごみを降ろして次の現場に行く。この作業を夕方まで繰り返す。
うだるような炎天下でも走らなければならない。雨の日も雪の日もある。ごみ袋からむき出しの出刃包丁が落ちてきたこともあった。
「分別されていないごみ袋を開けて分別し直すのは、僕たちなんです。『このごみ屋が!』と怒鳴られることもあるし、クレームもくる。もう、最初は怒りしかなかったですね」
いつかまた、お笑いで食べられるようになってやる。その気持ちだけを支えに、ロボットのようにただ体を動かしていた、と話す。
転機は、3年目に訪れた。……
取材・文 鳥飼新市
撮影 富本真之
本記事は、月刊『理念と経営』2025年2月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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