『理念と経営』WEB記事

社長就任直後に倒産!? 事業転換で脱した危機

株式会社ニシウラ 代表取締役 西浦伸忠 氏

公共事業だけに頼る建設業でやっていくことに、不安を覚えたという西浦氏。介護事業への異業種転換を図り、見事経営を立て直した軌跡をたどる。

公共事業から完全撤退し 意を決して介護事業へ参入

ニシウラの前身は、父の敏彦さんが鳥取市で創業した、砂防ダムや河川工事などの公共事業を請け負う西浦組だ。その建設会社を医療・介護用品を扱う会社に転換させたのが、2代目の西浦伸忠さんだった。

「前期の売り上げが6億2000万円。そのうち6億は、おむつです。いわば、うちは〝おむつ屋〟です」

西浦さんは、そう言う。この転換の背中を押したのは、父の病気による突然の社長交代だった。

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西浦さんは専門学校で測量を学び、20歳で父の会社に入社。長く現場監督を続けてきた。「仕事をしているうちに、だんだん国の政策で左右される公共事業だけに頼っていては会社の先行きが危ないのではないかと思うようになったんです」

何か別の事業の柱ができないかと考えていたとき、たまたま妻から「介護リフォームには補助金が出るらしいよ」という話を聞いた。西浦さんは、〝うちには一級建築士がいるし、弟は福祉住環境コーディネーターの資格を持っている。この2人がいればやれるんじゃないか〞と思った、と話す。

介護リフォーム事業を手掛けるようになったのが2004(平成16)年だった。思うように受注は伸びなかった。だが翌年、手すりなどを販売する大手商社主催の介護リフォームコンテストで金賞を取った。これを機に受注が増えていった。

「ユーザーから、よく『西浦さんのとこは介護用品は扱えないの?』という声を聞くようになったんです。そういうニーズがあるなら、ぜひ対応しようと、車いすや介護ベッドなどの福祉用具のレンタルも始めました」

ちょうど布おむつから紙おむつへの転換の時期だったという。使い捨ての紙おむつも扱いだしたのが、おむつとの出合いになった。

介護リフォームや福祉用具の受注は確実に増えていったものの、売り上げは微々たるものだった。公共事業は一件何千万円という受注規模だ。まるで桁が違った。しかし、その公共事業は激減し始めていた。

07(同19)年のことである。父が咽頭がんの診断を受けた。手術が成功しても声を失うだろうということだった。

「もう社長を続けられないということで、急遽、私が会社を継ぐことになったんです」

そのとき、西浦さんは社員の前で「これからは介護一本でいく」と宣言し、社名もニシウラに変えた。

「考えた末の決断です。建設業と介護事業の両方をやると、どっちも中途半端になるに違いないと思いました。退路を断つ決意で、そう決めたんです」

取材・文 編集部
写真提供 株式会社ニシウラ


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本記事は、月刊『理念と経営』2025年1月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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