『理念と経営』WEB記事
特集1
2024年 12月号
守るべきものを知ると 自分の望みに向き合える

株式会社さかもと 代表取締役社長 坂本英典 氏
「あの決断をしたことは良かったと思う。しかし……」と坂本さんは複雑な心境を明かしてくれた。身を切られる思いで下した非情な決断には当然ながら後悔が残る。それでも前を向き、道を模索してきたからこそたどり着けた経営観がある。
父親を説得し、
苦渋の決断を下した
「あのときの決断がなければ、今の会社は存在していなかったと思います」
栃木県宇都宮市で80年続く「さかもと」の代表・坂本英典さんは言う。同社は祖父が創業した水回り設備の商社で、以前は配管資材の卸売業を主な事業として行っていた。だが、大手の商社に勤務していた坂本さんが25歳で、先代の父親からの事業承継を見据えて同社へ来たとき、彼は競争過多のこの業界で「うちの会社が生き残ることはほぼ不可能だ」と感じたと振り返る。
「経営に必要なものといえば『ヒト、モノ、カネ』とよく言われます。しかし、当時の会社には全てがそろっていませんでした。社員には年配の方が多く、変革を進めようとしても体質が古く、ヒトを育てられる雰囲気がない。モノについても、配管資材を扱う商売は価格競争に巻き込まれ、利益が出ないまま負債だけが積み重なっていました。私はこのままの事業では未来がないと強く感じていました」
当時、坂本さんは一般の社員であったが、のちに専務に就任すると、先代である父親とは数年にわたって意見をぶつけ合ったという。現在の事業を少しでも伸ばしていくべきだという父。抜本的な事業の見直しが必要だと考える息子――。その間を経営コンサルタントに取り持ってもらいながら、最終的には父親の説得に成功した。
社員の解雇、配管資材の卸売りというメイン事業からの撤退、利益を生まない事務所の売却などを一気に行い、積み重なった負債を解消する。同時に利益率の高い住宅設備機器やリフォーム事業に注力し、新規事業を立ち上げることを坂本さんは決めた。
「後には退けない。そんな思いでした」
今から当時を振り返るとき、彼は大きな決断を下すことそのものではなく、その「決断」を実行に移し、やり遂げる過程にこそ本当の苦しみがあったと話す。
「決断には痛みが伴います。得意先にメイン事業からの撤退を伝え、社員の解雇を行う。『本当にこれでいいのか』と何度も自問しました。しかし、会社を存続させるためには、それしか方法がない。最終的に経営者仲間や顧問税理士に再就職先を探してもらい、社員に解雇を言い渡しました。反応はさまざまでした。生活の不安を訴える声もあれば、理解を示してくれる人もいました」
取材・文 稲泉連
写真提供 株式会社さかもと
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 12月号「特集1」から抜粋したものです。
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