『理念と経営』WEB記事
逆境! その時、経営者は…
2024年 12月号
社内クーデターを機に得た、大きな気づき

株式会社九州壹組 代表取締役 久保華図八 氏
確かな技術が評判を呼び、大成功した美容院。だが、まさかの社内クーデターで倒産が頭をよぎるほどの苦境に陥る。一方で、苦境を救ってくれたのも社員たちだ。劇的な社内風土改革の過程とは?
アメリカで一流の現場を経験する
北九州市に、技術の高さはもちろん、なによりスタッフの温かい接客が評判の美容室がある。現在、5店舗を展開している「BAGZY」である。
創業は1984(昭和59)年。中学を卒業した後、福岡の繁華街・天神にある美容室に住み込み、8年間修業した久保さんが北九州に戻って、実家の近くに6坪の小さな店を出した。
「お客さんが全然来ないんです。バス停にビラを貼ったり、チラシを近所に配ったり、いろいろ手を打ちました。だけど、お客さんは増えない。お客さんがつかない自分の技術力のなさに打ちひしがれました」
1年ほど経ったとき、アメリカのロサンゼルス在住で世界的に有名な美容師の講習会が福岡で開かれた。久保さんは、何か感じるものがあってその講習会に参加した。
「あまりの技術の高さに衝撃を受けました」
名古屋、東京の講習会にも参加し、「弟子にしてほしい」と頼み込み、ロスにまで渡ったのだ。
「英語なんてできませんでしたし、子どもが生まれたばかりだったにもかかわらず、家内に『もう一回、自分を賭けてみたい。ロスに行っていい?』と言ったら、『行ってきたらええ』と送り出してくれたんです」
店はロスの高級住宅街であるビバリーヒルズにあった。顧客は有名なハリウッドスターや歌手たちで、カットが8万円、いまでいえば30万円ほどになる店だった。2週間という約束で渡米したが、結局、修業は1年に及んだ。その間、妻がいろいろお金の工面をして店や家庭を守ってくれていたという。
「僕の人生の大きな岐路の一つでした。家内が僕を成長させてくれたんです。一生、頭が上がりません」
帰国すると、「アメリカ帰りで、日本一カットの上手い店が北九州にある」という噂が口コミで広まっていった。連日予約でいっぱいになった。
「3、4カ月先まで予約が埋まり、値段を上げても、減らないんです。技術力の強みを感じました」
帰国後、店名を「バグジー」にした。当時、ロスで流行っていたスラングなのだそうだ。
「バグは虫で、バグジーはアリ食いです。『にらまれたらおしまい』という意味らしく、強烈な人を指すときに言うようでした。僕は、格好いいと、帰国したらぜひ店の名前にしようと思っていたんです」
商売繁盛の矢先に社内クーデター
久保さんは、アメリカで世界的な技術だけではなく、「悪いこと」も覚えてきた、と言う。それは、勝てば何をやってもいいという成果主義と拝金主義だ。
「お客さんがいっぱいになって店を繁盛させたら、良い服を着て、高級外車に乗って、美味しいものを食べてもいい、という考えを身につけて帰ってきた。当時の僕は、みんなもこうなりたければ頑張れよ、とスタッフたちに言うような経営者でした」
それでも久保さんの技術を学びたいという若者が集まり、バグジーは繁盛した。2店目を出し、3店目は多額の融資を受けて北九州で一番の繁華街に出店した。ちょうど独立してから10年が過ぎた頃だ。
ある日、右腕だと信頼していた幹部が、古参の仲間と2人で独立するからと辞めていった。その1週間後には左腕だった幹部が辞めた。そんなことが短期間に続き、ついには40人ほどいたスタッフの半数以上が辞めていったのだった。
「まさにクーデターです。裏切られた思いだけが残りました。3店舗ともそこそこ大きな店だったので、残った人数だけでは回すのが大変で、売り上げは減っていく一方です。正直、もう駄目や、と思いました」
取材・文 編集部
写真提供 株式会社九州壹組
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 12月号「逆境! その時、経営者は…」から抜粋したものです。
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