『理念と経営』WEB記事
逆境!その時、経営者は…
2024年 10月号
奇抜な看板戦略に徹して起死回生!
医療法人社団きぬた会 きぬた歯科 院長 きぬた泰和 氏
「伝説の看板王」とも呼ばれる、「きぬた歯科」のきぬた泰和院長。独自の戦略の背景には、開業以来最大の逆境があった。それを乗り越えた舞台裏を探る。
逆境続きの歯科医が見つけたインプラントという勝機
「きぬた歯科」のきぬた(羅田)泰和院長は、「日本一有名な歯科医」として知られる。派手な看板広告を大量に打ち、それらの広告の大半で院長が大きく顔出しをしているからだ。
普通、看板広告は医院の周辺地域に出すのがせいぜいだろう。ところが、きぬた院長は常識破りの戦略を取った。東京都内中心ではあるが、西は伊勢神宮、東は栃木県足利市(院長の出身地)までの広大なエリアに看板を展開しているのだ。
奇抜な看板戦略を始めたきっかけは、12年前に直面した最大の逆境にあった。そのいきさつを説明する前に、まずは院長の人となりに触れておこう。
きぬた院長はさる7月、著作『異端であれ!』(KADOKAWA)を上梓した。生い立ち、歯科医としての歩みから、人生哲学までを開陳した自伝である。同書に詳しく書かれているが、その半生は挫折と逆境の連続だった。
「最初の挫折は、第一志望だった国立大医学部の受験に失敗したことです。入学した私立の歯科大学は学生の半分以上が歯科医の2代目・3代目で、父親が小さな町工場を経営していた私は周囲に馴染めませんでした。それも一つの逆境でしたね。1996(平成8)年にきぬた歯科を開業してからも、スタッフとうまくいかなかったり、まったく儲からなかったりと、つらい日々が続きました。開業するために2800万円も借金を抱えていましたし……」
転機が訪れたのは、98(同10)年――。わずか2カ月の間に、6人の来院患者から「ここではインプラントはできないの?」と聞かれたのだ。そのことでインプラント時代の到来を直感した院長は、セミナーに通って技術を習得し、インプラントを手掛けるようになった。そして、インプラント・ブームに乗って業績はうなぎのぼりになり、年商は6億円に達した。インプラントという”鉱脈”にいち早く手を伸ばしたことで、大成功を得た。
だが、次の逆境は、その“鉱脈”を狙い撃ちする形で訪れた。
「予約ほぼゼロ」の危機で、広告戦略を全面的に見直し
2012(平成24)年1月、NHKのニュース番組「クローズアップ現代」が、「歯科インプラント トラブル急増の理由」という特集を放映した。内容は、技量不足の歯科医が手掛けたインプラント治療によるトラブルを報じるものだった。しかし、その影響は優良業者を含む業界全体に及んだ。「インプラントは危ないらしい」という負のイメージが、一気に世間に広がってしまったからだ。
インプラントをメインに据えていたきぬた歯科にとっても、ダメージは甚大だった。
「NHKの影響力はすごいものですね。番組が放映された翌日に、インプラントの予約がほぼすべてキャンセルされましたから。放映は1月下旬でしたが、2月に35件予約が入っていたうち、33件がキャンセルになりました。残ったのは2件だけ。しかも、その翌月も予約はほぼゼロで、危機的状況でした。うちと同じようにインプラント中心でやっていた歯科医は、あのときかなりの数が廃業に追い込まれたと思います」
きぬた歯科が廃業せずに済んだのは、リスクヘッジを考えてインプラント一本に絞らず、通常の保険診療(虫歯治療)と2本柱でやっていたからだ。
「とはいえ、収益の大半はインプラントで上げていましたから、保険診療でほそぼそと食いつないだ感じです。『船は沈んだけど、救命ボートに乗り換えて生きながらえた』みたいな心境でした」
取材・文・撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 10月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。
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