『理念と経営』WEB記事

第113回/『自分で選んでいるつもり――行動科学に学ぶ驚異の心理バイアス』

行動科学をビジネスに活かすための本

本書の副題にある「行動科学」とは、人間の行動を科学的に研究し、その法則性を解明しようとする学問です。社会心理学にルーツがありますが、心理学に限らない幅広い分野を含みます。たとえば、「行動経済学」も行動科学の一領域なのです。

著者のリチャード・ショットン氏は、行動科学をマーケティングに応用する専門家。この分野での経験は22年に及び、自分の会社「アストロテン」では、企業がマーケティング上の問題解決に行動科学を用いることをサポートしています。同社のクライアントには、グーグルやメタ(旧フェイスブック)などのグローバル企業が並んでいます。

本書は、行動科学をマーケティングに活かしてきた豊富な経験を踏まえ、著者の知見を一般向けにまとめたものです。

著者は「はじめに」で、次のように言います。

《行動科学と心理学以上に、セールスやマーケティングに関連のある学問は考えられない。企業ならどんな業種であれ、消費者を競合ブランドから乗り換えさせたり、高価格帯の商品を選ばせたり、シリーズ商品をいっそう手広く買わせたりしなければならないが、これらはいずれも消費者の行動を変えさせることを意味する。ビジネスとは、行動変化を促す活動なのだ》

この一節のとおり、行動科学の知見を活かして消費者(顧客)の行動を変えさせる方法を紹介した書なのです。

私たちが何かを買うとき、「自分で選んでいるつもり」でいても、実はそうではないことがよくあります。「心理バイアス」を用いた企業の戦略によって、「選ばされている」面があるのです。

著者は、さまざまな心理バイアスを章ごとに紹介するとともに、それをどうビジネスに活かせばよいかを詳しく解説しています。各章には《行動科学を応用するには》という小見出しがあり、その章で解説された心理バイアスのビジネス応用例が挙げられているのです。
単に行動科学入門として読んでも楽しい内容ですが、著者の眼目は読者がそれをビジネスに「実践する」ことにこそあるのでしょう。

つまりこれは、著者がクライアントのグローバル企業に対して行っているコンサルティングの要点を、惜しげもなく公開した本なのです。

よく知られた心理バイアスも、さらに深堀り

本書には、一般によく知られている心理バイアスも紹介されています。
たとえば、「ピーク・エンドの法則」が1章を割いて解説されていますが、この法則については多くの人が聞いたことがあるでしょう。
念のために言えば、「ピーク・エンドの法則」とは、「人はある出来事に対し、感情が最も高まったとき(ピーク)と最後の印象(エンド)だけで、全体的な印象を判断する」という心理バイアスを指します。

しかし、「『ピーク・エンドの法則』は知っているから、その章は読まなくてもいいな」と思うのは早計です。著者はこの法則をさらに深堀りし、それをビジネスに活かす方途を詳しく解説しているからです。

「ピーク」と「エンド」の2つが消費者の抱く印象を決定づけるなら、企業は自社の商品やサービスについて、いちばん伝えたい部分が「ピークとエンドにくる」ように工夫することが大切になります。著者はそのための工夫を、次の「3つのアプローチ」に分けて解説しています。

《・谷を作らない(マイナスのピークを埋める)
 ・山を活かす(プラスのピークを際立たせる)
 ・盛り上げて終わる》

「谷を作らない」とは、「一番ダメな部分」を改善することを指します。著者はそれこそが《もっとも重要なステップ》であり、最優先すべきだと述べています。なぜなら、人間には「ネガティビティバイアス」があるからです。

《人はネガティブな情報のほうを重く受け止める傾向が強い。プラスへ振れるか、マイナスへ振れるか、その振れ幅が同じであったとしても、ネガティブな出来事のほうを重大に感じる》

そのようなバイアスがあるため、たとえば旅行したときには、泊まったホテルで起きた最悪の出来事が「ピーク」となり、そのホテルの印象を台無しにしてしまいます。ほかにプラスの要素が多数あっても、印象に残りにくい。だからこそ、「マイナスのピークを埋める」ことこそ最優先なのです。

巧みなやり方で「マイナスのピークを埋めた」事例が、本書に紹介されています。
米テキサス州ヒューストンの空港は、預けた荷物が出てくるのを待つ搭乗客からのクレームの多さに悩んでいました。調べてみると、平均8分待たされると客は我慢の限界に達し、文句をつけてくることがわかりました。

そこで空港運営側は、入国審査後の順路を変更し、荷物の回転テーブルにたどり着くまでに約8分余分に歩くようにしました。そうすることで、客が着いたころにちょうど荷物が出てくるようになり、クレームは激減したそうです。

コストをかけず、待ち時間の量も変えていないのに、客が受ける印象は一変したわけです。なぜなら、何もせずにぼんやり待つ時間は、別の用事(この場合は歩くこと)をしながら待つよりもはるかに長く感じられるから。そうした心理の綾を巧みに利用したわけです。

本書にはこのような、さまざまな企業が心理バイアスを活用した具体例が多数盛り込まれています。それらのエピソードの面白さで、読者をグイグイ引っ張っていくのです。

心理バイアスのビジネス活用事例集

「ピーク・エンドの法則」以外に本書で取り上げられた心理バイアスには、次のようなものがあります。
「レッドスニーカー効果」、「ハロー効果」、「ベースバリュー・ネグレクト効果」、「極端回避バイアス」、「キーツ・ヒューリスティック」、「産出効果」、「ドア・イン・ザ・フェイス」、「イケア効果」etc.

よく知られたものもあれば、耳慣れないものもあるでしょう。本書はそれぞれについて詳しく説明したうえで、各バイアスをビジネスにどう活かせばよいかというアイデアも示しています。

ここでは、一例として「産出効果(production effect)」の章を取り上げてみましょう。
何かを記憶しようとするとき、情報をただ与えられるよりも、答えを自分の頭の中で作り出す(産出する)能動的なやり方のほうが、記憶に残りやすくなります。たとえば英単語を覚えるとき、単に読み上げるよりも、穴あき問題を埋めたり、対義語を答えさせたりするやり方のほうが、記憶に定着しやすい――それが「産出効果」です。

つまり、一般的には「効率的な記憶法」として取り上げられることが多い理論なのですが、本書ではそれが、顧客に自社商品を印象づけるコツに応用されています。

《産出効果の場合、要点は、オーディエンスを巻き込むという部分にある。受け手に多少の労力を払わせることによって、記憶に残りやすくするというのがポイントなのだ。
(中略)
 優れた広告が記憶に残るのは、たいてい、読み手にちょっとだけ頭を使わせるものになっているからなのだ。「なるほど、そういうことか」と思い、自分の賢さに嬉しくなって、友人にも話したくなる》

「読み手にちょっとだけ頭を使わせる広告」とは、どのようなものでしょう? 著者はその具体的な方法も示しています。

《簡単にしたい、しかし労力もかけさせたいという、相反する条件を両方叶える方法として、宣伝文にシンプルな問いかけを入れてもいいだろう。問いに答えるために考えをめぐらせるので、産出効果がはたらくからだ。
 ここには別のメリットもある。問いかけは説得力を高めるのだ》

また、そのエビデンスとなる行動科学の研究も紹介されています。

《(実験の)結果を見ると、問いかけを読んだほうの被験者は、説明文を読んだ被験者よりも、ブランドに対する好意的な評価が 14% 高いことがわかった》

記憶術としての「産出効果」のメリットは記憶に残りやすいことだけですが、それを広告に用いる場合、商品の印象を強めるだけではなく、メッセージの説得力を強め、好意的評価も高まるというのです。

たとえば、「◯◯のシューズは関節炎の発症リスクを下げます」という広告よりも、「◯◯のシューズは関節炎の発症リスクを下げることを知っていましたか?」と問いかける広告のほうが、「産出効果」によって顧客の心に深く刺さるわけです。

それはなぜか? 《心理学では、問いかけが効果的になる理由として、聞き手に「自分が主体的にかかわっている」という気持ちにさせるからだと考える》とか。「なるほど」と思わせます。

以上は、本書で紹介される「行動科学のビジネス活用」の、ほんの一例です。

帯の惹句にあるとおり、《16と1/2の強力な心理バイアスと、ビジネスにおける実践例》を集めた本書(なぜ17ではなく「16と1/2」なのかは、読めばわかります)は、行動科学の知見をビジネスに活用するための事例集として、たいへん有益です。

中小企業経営者――とくにBtoCで販売事業を行う会社の経営者にとっては、売上増やブランディングにつながるヒントが多数得られるでしょう。

リチャード・ショットン著、上原裕美子訳/東洋経済新報社/2024年5月刊
文/前原政之

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