『理念と経営』WEB記事

面白い未来をつくる“老舗ベンチャー”

株式会社カクイチ 代表取締役社長 田中離有 氏

創業から138年、小売り、問屋、メーカー、サービス業へと次々にイノベーションを起こし続けるカクイチ(長野県長野市)。なぜ、同社は一歩先んじることができるのか?

「安全第一」を一番に置いた創業者の思い

カクイチの創業は1886(明治19)年。長野県稲荷山町(現・千曲市)で金物問屋として産声を上げた。戦後、事業を広げ、いまでは各種ホースやガレージの製造販売、太陽光発電など、さまざまな事業を展開している。その流れを築いたのは現社長である田中離有さんの父で3代目社長の健一さんだった。

――いろいろな事業をされています。いったいカクイチは何の会社だと考えればいいんでしょう?

田中 いつも「ものづくりの会社」だと言っています。わりと自分たちで何でもつくっているんです。たとえばサービスをつくり出すのも“ものづくり”だと言えなくもない。私はものづくりの“もの”をけっこう幅広く考えているんです。だけど「事業創造カンパニー」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

―たしかに……。3代目のお父さんが中興の祖というか、戦後の発展を担われたようですね。

田中 曽祖父が創業した小売業が原点ですが、戦後、父の時代に問屋になって、やがて製造業に進出して農業用・工業用などのホースをつくるんです。父はアメリカにもホース工場を建てました。その後、ガレージ事業を始めます。まず商品を見てもらおうと、他社に先駆けてガレージのショールームをつくり売っていったんです。

―― その頃から社名は「カクイチ」だったのですか。

田中 創業の頃は田中商店です。カクイチというのは、小売業時代の“荷印”だったんです。田中商店で扱う商品につけていた記号です。包丁にも、バケツにも、どんな商品にも四角に一の印をつけていました。その読みが「カクイチ」だったことから、社名も「カクイチ」になりました。

―― 社員“各々が一番”という意味があるとも聞いています。

田中 私が社長になってから社名の意義付けをしたんです。創業者がこんな言葉を企業ミッションとして残しているんです。「安全第一・品質第二・採算第三」。

――儲けより品質、それ以上に安全を第一に考えよう、と?

田中 はい。なぜ創業者は「安全第一」と言ったのかと考えて、これは「社員第一」という宣言だったんじゃないかと思いました。「各々が一番」、つまり社員一人ひとりが輝けるような会社になればいい、と。

中小企業の経営はエモーショナルな世界

田中さんは大学を卒業すると自動車部品メーカーに3年勤め、その後、経営を学ぶためにアメリカに留学、MBAを取得して帰国した1990(平成2)年、カクイチに入社する。28歳だった。「アメリカで徹底して論理思考を学んできていましたから、アナログ経営の良さも欠点もよく見えました」と、田中さんは言う。

――入社されたとき会社は、どんな状況だったのですか。

田中 バブル崩壊と重なる時期だったのですが、長野はオリンピックも予定されていたし、ウルグアイ・ラウンドの農業協定もあり補助金がバンバン出ていたんです。だから97(同9)年頃までは右肩上がりの状況が続いていました。その後、経済が低迷して急激なデフレ社会に入っていき、業績は一転、悪化していきました。

――社内の雰囲気はどうでした?

田中 私はアメリカで過去の分析から最適解を見つけるというロジカルな経営を学んでいました。父は、その反対で、どちらかというと直感型の経営者だったんです。

――自分の直感を信じて次の一手を打っていくわけですね。

田中 だからよくぶつかっていました。そこに真面目な調整型の兄がいて三巴でぐちゃぐちゃでした。父は危機だからこそ挑戦するんだとミネラルウオーターの会社を買収したり、軽井沢のホテル経営に乗り出したりしたんですが、その経営を実際にやるのは私でした。本当に鍛えられました。


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取材・文 中之町新
撮影 伊藤千晴


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 10月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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