『理念と経営』WEB記事
逆境!その時、経営者は…
2024年 9月号
3代目の徹底改革で、社内の腐敗を一掃
吉岡興業株式会社 代表取締役 吉岡洋明 氏
老舗の工具商社は、社員による横領が横行する無法地帯と化していた。3代目はたった1人で腐敗と戦い、さらには事業もシフトさせ、優良企業へと蘇生。その軌跡を追う――。
家業に入社した3代目が直面した、秩序崩壊の惨状
吉岡興業は、旧日本海軍のエリートであった吉岡忠一氏が、戦後すぐに創業した機械工具専門商社であった。切削工具を中心に工場雑貨を幅広く扱い、高度経済成長の波に乗って大きく発展。多くの大企業を顧客に抱え、順風満帆の時期が長く続いた。
だが、2代目・吉岡昭氏(現会長)の時代を経て、創業者の孫である現社長が入社した2002(平成14)年ごろには、会社の様相が一変していた。
「そのころがいちばん悲惨な状況でしたね」
社長が過去の自社を「悲惨」とまで言うのは只事ではないが、話を聞いてみればそれもうなずける。
「たとえば、朝礼が始まって父(当時の社長)が話をしていても、社員たちが誰も聞いていないんです。机に突っ伏して寝ていたり、大声でお客様に電話をしていたり、カタカタPCのキーボードを叩く音がしていたり、サンドイッチの袋を開ける音が響き渡ったり……。入社した当初はビックリしましたよ」
社内秩序が崩壊している様子が、朝礼一つ取っても明らかだった。
「父は、50歳くらいになってやっと会社を継いだんです。それまでは他社の会社員でした。それもあって、ずっと会社を支えてきてくれた社員たちに遠慮する気持ちが強く、厳しいことが言えない面がありました。気が優しい人でもありますし」
しかも、カリスマ経営者だった創業者の忠一氏は、2000(同12)年に世を去っていた。ベテラン社員たちに目を光らせる存在がいなかったのだ。社内がそんな状況では業績がよいはずもなく、財務状況も最悪だった。
「当時は借入金が13億4000万円あって、毎月の金利だけでも大変な額を払っていました。未回収金も約3億円あって、不良在庫も8000万円に上るありさまでした」
吉岡さんは入社前、一部上場企業の営業担当として活躍していた。36カ月連続で営業成績トップになったこともある。だからこそ、前職の大企業とあまりにかけ離れた家業の惨状は、許し難いものだった。
「私が社長になるまでに、社内の乱れきった状態を立て直そうと決意しました。というより、抜本的に改革しない限り、継ぐべき会社がなくなってしまいそうだったのです」
横領社員たちを一人ずつ追及し、退社させていった
3代目としての戦いは、逆境の真っ只中から始まった。当時の吉岡興業では、信じ難いことに、社員による横領が横行していた。それも、1人や2人の不良社員がやっていたという話ではない。ボーナスのための架空売り上げによる営業成績詐称も含めれば、じつに10人以上に上る社員が、吉岡さんに横領を追及されて退社していったという。
「ひどい財務状況をもたらした原因はどこにあるのかを見極めるために、私は社内書類を徹底的に精査しました。その過程で、社員が書いた書類に明らかな矛盾がたくさん見つかったのです。それを細かくチェックしていくだけで、会社の金を着服している社員が多数いることがわかりました」
少し調べればすぐにわかるずさんな横領が、小刻みに積み重ねられていたのだ。横領社員たちに直接問いただす前に、吉岡さんは書類の矛盾を洗い出し、追及の材料をそろえておいた。
「横領していた社員が多すぎて、一度に辞めさせると会社の業務が成り立たなくなってしまいます。そこで私は、代わりの社員を1人雇用するごとに1人を追及して、懲戒解雇していきました」
狙い定めた1人を呼び、2人きりの席で“証拠”の書類を広げ、「○○さん、これとこれがちょっとおかしな数字になっていると思うんですが、どういうことなのか説明してもらえますか?」と話を切り出した。すると、それだけで相手はその言葉の意味を理解し、激しく狼狽したという。
「決まり文句のように、『私にどうしろと言うんですか?』と彼らは言うんです。そこで私は、『今日付けで懲戒解雇します。自席に戻ることは許しません。私物はあとで自宅に送りますから、いますぐ会社から出ていってください』と言いました」
一人も警察沙汰にしなかったことは温情であり、会社の恥を世間にさらさない配慮でもあった。
取材・文・撮影 編集部
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 9月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。
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