『理念と経営』WEB記事
企業事例研究2
2024年 9月号
若手とベテランの力で 理想の特殊ねじを作る

株式会社キットセイコー 代表取締役 田邉弘栄 氏
材質・形状を問わずどんなねじでも作ってみせる。「少量多品種」がキットセイコー(埼玉県羽生市)の特徴だ。その原動力は「いい会社」を目指すことから生まれていた。
家業の実態を見て「使命感」が芽生えた
キットセイコーは特殊ねじに特化したねじメーカーだ。ホームセンターなどで販売されるステンレスや鉄でできた規格品とは別種の材質・形状のねじを注文に応じて1本からでも作る。精度・耐久性に優れ、1970(昭和45)年に日本で初めて打ち上げられた人工衛星「おおすみ」や小惑星探査機「はやぶさ」、あるいはモータースポーツ最高峰のF1レースのマシンにも同社のねじが使われている。
創業は40(同15)年。田邉社長の祖父・弘さんが埼玉県羽生市で立ち上げた田辺製作所が原点になる。中島飛行機(SUBARUの前身)の技術者だった弘さんは無線や航空機の部品とともに精密ねじを手掛け、戦後は家電メーカーにねじを納めていたが、家電メーカーの注文には波があるため、息長く安定的に事業を継続できるよう特定のメーカーに依存せず、用途や仕様を打ち合わせてねじを製造する道に進んだ。
2代目は父・勲さん。3代目を継ぐのは40代、50代になってからと思っていた田邉社長は、大学卒業後しばらくは海外を巡るつもりで、その旅費を稼ぐために実家でアルバイトをした。大学4年のときの夏休みだった。
「工場に入ってみると、昔かわいがってくれたお兄さんたちがみんな定年近い年齢になっていたのです。若い社員はいません。あと3~4年でみんないなくなり、会社も立ち行かなくなる。今技術を教わっておかなければと気づいたのです」
田邉社長は家業を守っていく使命感のようなものを感じ、キットセイコーへの入社を決意したのだった。
暗黙知を形式知に変え 若手育成の準備をする
98(平成10)年に入社した田邉社長は、NC旋盤(プログラムにより刃物の位置を調整できる旋盤)の操作やプログラミングをメーカーで学んでおこうと出向扱いで工作機械メーカーに勤めた。
「職人さんたちが定年になる前に自分が技術を覚え若い人たちに技術を継承していく。その準備でした」
2年後に家業に戻ってまず取り組んだのは、「暗黙知を形式知にする」ことだった。
取材・文 中山 秀樹
写真提供 株式会社キットセイコー
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 9月号「企業事例研究2 」から抜粋したものです。
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