『理念と経営』WEB記事
巻頭対談
2024年 9月号
顧客の要望に応え続ける中で 自ずと戦略が見えてくる

YKK株式会社 代表取締役会長 猿丸雅之 氏 ✕ 早稲田大学ビジネススクール教授 入山章栄 氏
世界70の国と地域へ展開し、ファスナーの世界的トップブランドとして独自のポジションを獲得してきたYKK株式会社。このグローバル戦略のよりどころになっているのが創業者・吉田忠雄氏が唱えた企業精神「善の巡環」である。語り部たる猿丸雅之会長が推し進めてきた「YKK流経営」の本質を、世界の企業戦略に精通する入山章栄氏が解き明かす。
理想的なグローバル経営は「お客様に尽くす」姿勢から
入山 私の経営学者としての専門分野の一つがグローバル経営なんです。そのため、「日本企業のグローバル化について書いてくれ、話してくれ」と言われる機会も多いのですが、YKKさんをお手本として挙げることもよくあります。御社ほど本気でグローバル経営に取り組まれている日本企業は稀ですから。
猿丸 ありがとうございます。私どもの主力商品であるファスナーは、人が住む所ならどこにでも需要があるんです。どの国でも服は着ますからね(笑)。だからこそ、創業者(吉田忠雄氏)は日本国内に加えて世界のマーケットへの可能性も感じて、早くから海外各国や地域に会社をつくりました。
入山 ファスナーは軽い商材ですから、輸出モデルにする選択肢もあったと思います。そうせずに、現地生産にかじを切られたのはなぜですか?
猿丸 海外進出を始めた当初は、日本から輸出もしていました。でも、納期やサービスなどの面で、各国・地域のお客様の多様な要望に応えるためには現地生産でないとダメだとわかってきたんです。
一口にファスナーといっても、国や地域、お客様によって、求めるものが微妙に異なります。
入山先生、YKKのファスナーの色は何色くらいあると思います?
入山 ファスナーって、銀か金というイメージしかないですけど。
猿丸 微妙な違いまで含めれば、10万色以上あるんです。
入山 えっ、そんなにたくさん!?
猿丸 たとえば、黒だけで10種類以上あります。お客様の生地に合わせて、最適な色に染色するためです。私どもはそのように、お客様のご要望にお応えすることを愚直に行ってきました。現地生産によるグローバル化が進んだのはその結果であって、将来のマーケットを予測して工場を各国や地域に配置したわけではないんです。
入山 御社の海外拠点は、いまどれくらいあるんですか?
猿丸 事業を展開しているのは70カ国・地域です。ファスニング事業の会社数は67社です。ファスニング事業に限れば、生産量の約9割を海外で上げています。
入山 そこまでグローバルに広がっていると、日本の本社が全体を管理することは非常に難しい。というより、ほぼ不可能ではないですか?
猿丸 私は社長になる前に海外事業全体を統括する役職をやりましたが、その時期に「私の役割は“皿回し”だな」と思っていました。つまり、皿がうまく回っている間は何も手を出さない。うまく回らなくなったら、うまく回るように本社が必要な手助けをする。そういう現地のサポートに徹しよう、と考えたのです。
入山 何から何まで管理するのではなく、できるだけ現地の自主性を重んじるということですね。
猿丸 ええ。当社の特色なのですが、各国・地域で新たに投資をする発案は現地から上がってきます。もちろん、査定は日本の役員会で行いますが、起案するのは現地なのです。
入山 そのように思い切って権限委譲できるほど、各国に人財が育っているということですね。日本企業のグローバル化がうまくいかない事例を見ると、最大の問題は現地で人が育っていないことなんです。人を育てずに、グローバル化だけをしようとするから失敗する。でも、御社はその陥穽を免れていますね。
猿丸 当社の場合、創業者の「土地っ子になれ」という言葉がずっと受け継がれていて、「海外に赴任したら、自分はこの国で生まれたんだと思って頑張れ」と必ず言われるんですよ。そうした伝統が功を奏している面があると思います。
入山 いずれは、「もう本社は日本に置かなくてもいい」となる可能性もありますか?
猿丸 実は、本社を海外に移すという議論も社内でしたことがあるんです。そこまでは踏み切れませんでしたが、営業本部はすでにベトナムに移しています。営業本部長も、日本の本社ではなくベトナムにおります。
また、開発拠点も世界各地に置いています。求められるものが地域によって違うので、一律には開発できないからです。たとえば、ヨーロッパは高級ブランド向けのファスナーが多いので、開発拠点はその本場であるイタリアに置いています。一方で、日本に置いたほうがいい分野もあって、ファスナー製造設備を造る拠点や研究拠点は日本にまとめてあります。
入山 グローバル経営の企業戦略を分析するフレームワーク(枠組み)に、「I︲Rフレームワーク」というものがあります。「I」は「統合(Integration)」で、「R」は「適応(Responsiveness)」を意味します。つまり、グローバル経営には「統合」と「各国個別適応」という二つの軸があって、多くのグローバル企業はどちらかに偏っているのです。
Iに偏った、「世界中で同じことをやって、効率化していく」という手法の権化がアップルですね。一方、Rに偏った、「国ごとに拠点を置き、権限も大幅に委譲して個別対応させる」という手法は、ヨーロッパのFMCG(日用消費財)系の企業がよく選んでいます。ユニリーバなどですね。
IとRはトレードオフ(一得一失)になりますから、どちらかに偏り過ぎたら一方のメリットは享受できません。ただ最近は、IとRのいいとこ取りを狙った「トランスナショナル戦略」―統合のよさと個別適応のよさを兼ね備えたグローバル戦略が注目されています。P&Gやネスレがその戦略にシフトしているとされていて、いわば〝グローバル経営の理想形〟ですね。
私は、日本でトランスナショナル戦略が取れている企業はないと思っていたんです。でも、会長のお話を伺っていると、YKKさんの手法はトランスナショナル戦略にかなり近いですね。
猿丸 私どもの場合、戦略的に狙ってそうしたわけではないんです。各国・地域のお客様の多様な要望にお応えするために悪戦苦闘しているうちに、結果的によいバランスが見いだせたのだと思います。
最大の判断基準となる、「善の巡環」の精神
入山 会長が海外事業を統括するお立場だったころだと思いますが、いわゆる「ファストファッション」の台頭で、御社も戦略転換を求められたようですね。
撮影 中村ノブオ
構成 本誌編集長 前原政之
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 9月号「巻頭対談」から抜粋したものです。
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