『理念と経営』WEB記事

絶体絶命の苦境が心のあり方を変えた

株式会社リベント 代表取締役 三上力央 氏

創業後しばらくは右肩上がりだった

東京・品川区に本社を置く葬祭業の「リベント」。社長の三上力央さんは、「古くからいる社員に『社長は変わった。別人みたいだ』と、よく言われます」と笑った。数字を追って怒鳴ることもなくなり、いまは社員を大事にしチームで仕事をすることに重きを置く。三上さんを襲った逆境は、それほど大きな学びになったのである。

起業を考え始めたのはオレゴン大学のビジネス・スクールに留学しているときだったそうだ。

人を喜ばすことが好きで、大学時代は“サプライズ・フェチ”と呼ばれるほど人を楽しませるいろんな企画を考えていた。そんな自分の特性を生かせる仕事をしたいと思った。ひらめいたのが冠婚葬祭だった。「冠婚葬祭というのは人生の一大イベント。そのイベントに大きな感動を提供したいと思ったんです」

2002(平成14)年、29歳のとき、仲間と一緒に冠婚葬祭を企画運営するリベントを起業した。

「結婚式も、お葬式も、やったことがなかったので、独自のサービスをつくるのに、3年かかりました」

結婚式については、この分野で話題になっていたり、活躍したりしている人物を調べて会いに行くなどの情報収集を続けた。葬式に関しては、実際に葬儀社で働き、仏花を提供している花屋でアルバイトをした。

そうして練り上げたサービスが、「ガーデンウェディング」と「花葬儀」である。ガーデンウェディングは、目白の旧細川侯爵邸や横浜の三渓園など歴史的建造物を借りて行う結婚式だ。花葬儀では故人が残された人々の心に生き続けるようにと、故人の好きだった花を使い祭壇や葬儀空間をつくった。

こうしたリベントの取り組みは、マスコミでも紹介され話題になった。花葬儀は生花のコストがかさんで黒字にはならなかったが、結婚式は利益率が高く、会社の業績は右肩上がりに伸びていった。

度重なる逆境の連続で資金ショート

三上さんを大きな試練が襲ったのは、10(同22)年。念願だった自社の葬儀場の建設を始めると、地元住民の間で建設反対の運動が起きたのだ。

近隣の商店街に建設反対の旗が立ち並び、反対のビラが配られ、街宣車まで出た。テレビ・ニュースやワイドショーにも取り上げられる騒ぎになった。

「すごかったですよ。会社や自宅にファクス、はがきがくるし、ツイッター(当時)などで発信されて」

そのなかに新聞や雑誌を切り抜いた大小の活字で「娘がいることを知っている」と書かれた手紙もあった。

「正直、怖くなって、この事態に向き合わず逃げてしまったんです。創業の仲間の一人に葬儀部門を任せて、僕は結婚式のほうに専念するようになりました」

騒ぎは翌年に発生した東日本大震災まで続いた。結局、葬儀会場は完成したが、葬儀には使わないことで反対する住民側と折り合いがついたという。

創業したとき、三上さんは10年以内に直営の結婚式場と葬儀場を持つという計画を立てていた。葬儀場は頓挫したが、結婚式場は北九州にいい物件が見つかり、それを買収して2013(同25)年から稼働させた。「THE MATIRTHA SUITE(ザマティルタスイート)」として、現在も人気の式場だ。

募集をかけ、新しい社員を採用した。本当に仕事ができる女性で、翌年には5億円の売り上げを出した。ところが、今度は、その彼女の横領が発覚したのである。

「2015(同27)年でした。彼女にはすぐに辞めてもらいましたが、急激に売り上げが落ちて5000万円ほど資金ショートすることになったんです」

取材・文・撮影/編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 8月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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