『理念と経営』WEB記事

選べる畳縁が開く、畳業界の新たな扉

髙田織物株式会社 代表取締役 髙田尚志 氏

畳の部材である「畳縁(たたみべり)」を“商品”として世に送り出した髙田織物(岡山県倉敷市)。6代目の髙田尚志さんが進める、「畳縁をポップカルチャーにする」取り組みとは?

畳の部材だった畳縁を単体の商品として扱う

髙田織物は国内シェア40%を有する畳縁のトップメーカーだ。畳縁とは、畳の長手方向に縫い付けられる布で、畳表の角の摩耗を防ぎ、畳を敷き合わせたときにできる隙間を埋めるなどの機能を持つ。1892(明治25)年の創業時は、地元岡山県倉敷市児島の名産である細幅の織物「真田紐」を製造していたが、大正時代の中頃、綿糸を使って畳縁をつくる製法が児島地区に伝わってきたのを機に畳縁製造に転じ、さらに合成繊維を使って柄のある畳縁(紋縁)を独自に開発、「大宮縁」と名づけられた紋縁は全国に広まり現在に至っている。

髙田尚志さんは2004(平成16)年に大学を卒業すると、父の後を継ぐ覚悟を持って入社し、20(令和2)年に6代目社長に就任した。

髙田さんが入社した当時の髙田織物の畳縁出荷量は900万畳分だった。20年を経たいまは350万畳分に減少しているが、利益は確保できている。

建物の洋風化などにより畳の需要が減っているなかで収益を確保できている要因は、ハンドメイド用素材の畳縁と関連グッズの直営店「FLAT(フラット)」に集約される。

本社敷地内に14(平成26)年に開設された実店舗およびECサイトは、髙田さんが「情報の受発信基地」と位置づけている通り、畳縁の魅力を発信するだけでなく、顧客からさまざまな情報を収集し、商品開発のヒントを得る存在になっている。「進めてきた取り組みのすべてが、この店につながっています」と言う。

店内には多彩な畳縁が単体の商品として並んでいるが、畳縁を“値段のついた商品”として単体で販売するのは、畳業界の既成概念を超えることだった。畳縁は畳の部材として扱われる存在に過ぎなかったのだ。

大学時代、髙田さんが「畳縁をつくっている家業を継ぐ」と言ったら、友人たちは「畳縁? それって何?」という反応だった。大学では住環境や都市環境を学んだが、ゼネコンに入社したり工務店を継いだり建築士になるような友人たちでさえ、「床材を装飾する建築資材」である「畳縁」を認知していなかった。

乗り越えなければならなかった業界の壁

「畳」は資源の乏しい日本にあって自然素材を用いた建築資材として古くから多用されてきた。最近は「縁なしの畳」も台頭しているが、縁なしは傷みやすいうえ、「裏返し」も「表替え」もできないため、古くなると産業廃棄物と化す。畳縁のある畳は再利用できるため「サステナブルな建築資材」として見直されている。

ただ、従来、畳の値段は一畳いくらで決まっており、畳縁は色も緑、黒、茶など地味なものばかり。メーカーを問わず同じような価格帯だったため、畳店は安価な畳縁を使い、利益率を高めようとしていた。ハウスメーカーも工務店も家を建てる人も、畳縁を「選ぶ」ことはなかったし、畳縁の値段にこだわる人はいなかった。

「畳縁」は10畳分が1ロットになる。6畳や4畳半の部屋だと余りが出る。畳店は余った畳縁を次につくる畳には使えない。織物なのでわずかながら色味が異なるのだ。といって必要な量だけ特別に注文すればコストも納期もかかり過ぎてしまう。結局、余った畳縁は畳店でデッドストックと化し、やがて廃棄されるのが常だった。

髙田織物では、先代(現会長の髙田幸雄氏)の時代から多彩な色や柄の畳縁をつくっていた。だが、畳縁は畳店が独自の判断で仕入れて使うため、それらが家づくりに関わる人々や、家を建てる人の目に触れることはなかった。そこで髙田織物はハウスメーカーや工務店、建築事務所などにカタログを直接送るようにした。すると「このカタログにある畳縁を使いたい」という注文が拡大し、「こんな畳縁があるのなら畳の部屋をつくりたい」という人も増えた。



畳縁は装飾性だけでなく、畳と畳の隙間を埋め、傷みを防止する機能がある

取材・文 中山秀樹
写真提供 髙田織物株式会社


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 6月号「企業事例研究2」から抜粋したものです。

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