『理念と経営』WEB記事

放たれる“異彩”の力で、社会の常識に風穴を空ける

株式会社ヘラルボニー 代表取締役Co-CEO 松田文登 氏

知的障害のある人のアート作品を、その価値にふさわしい対価で「稼げる」ビジネスに――。「ふつうじゃない」の可能性を広げるヘラルボニーの見据える先とは?

他人の兄へのまなざしに違和感を覚える

「HERALBONY(ヘラルボニー)」というライフスタイル・ブランドがある。繊細で細かい絵、逆に大胆で迫力ある絵、淡いトーンの絵……。独特な色遣いや構図のアート作品をネクタイ、傘、食器などのプロダクトにしているブランドである。

どの作品も味わい深く、不思議な存在感があって魅力的だ。
「本当に自分がやりたいから描くという、純な魂そのものが載った作品ばかりだからだと思います」

松田文登さんは、そう言う。これらの作品は、主に知的障害のある作家が描いている。

文登さんは、そんな作家たちとライセンス契約を結び、さまざまなプロダクトを企画している株式会社へラルボニーの最高経営責任者だ。もう一人の最高経営責任者の崇弥さんは双子の弟である。

2人には、重度の知的障害がある4歳年上の自閉症の兄・翔太さんがいる。

小さなころ、土日は兄と同じ障害があるグループのイベントによく参加した。小学校4年のことだ。自分たちを指さして笑う、同じくらいの年齢の子たちがいた。

「子どもながらも、以前から人々の兄へのまなざしには違和感を持っていましたが、このときはなぜかすごく憤りがわいてきたんです」

文登さんは、その憤りや、やるせない気持ちを作文に書いた。訴えたかったのは、「障害者だって同じ人間だ」ということだった。

ところが、中学生になると、クラスの男子たちはみんな成績の悪い友達に「スペ(自閉症スペクトラムの略)じゃん」「お前、身障か」などと平気で言うのだ。

「そういう空気が漂っているなかで、兄の存在を伝えることができず、隠すようになりました」

そんな自分を嫌悪したし、悔しさも感じた。“こんなことを思わなくてもいい世の中にならないかな”。漠然と、そう思うようになった。

文登さんたち2人は1993(平成3)年に岩手県で生まれた。大学を出ると文登さんは地元の建設会社に就職し、崇弥さんは東京の広告代理店で働き始めた。

花巻市に、知的障害がある人たちの作品を展示する「るんびにい美術館」という障害福祉事業を営む法人が運営する美術館がある。2015(同27)年。崇弥さんは初めて同館を訪ねたそうだ。

すぐに電話があった。「ここ、すごいって!」

早速、文登さんも展示を見に行き、作品の力に圧倒された。ボールペンでひたすら描いた太い黒丸の絵、いくつも色がひしめく緻密な絵、独自にアレンジした文字が重なり合う絵……。世の中から「何もできない」と見なされてしまいがちな障害のある人たちが、これほど人の心を動かす作品を、しかもこんなにもいきいきと生み出している――。

これらの作品をもっと多くの人に届けたい。その端緒として、崇弥さんは彼らの作品でネクタイをつくることを考えた。

障害のある人々の心と人生を、社会に「結ぶ」という発想だ。このプランに文登さんも乗った。

「プリントではなく、絵の奥行きや質感が出るように、絶対に織物でつくりたいと思ったんです」

作品へのリスペクトだ。しかし、それが実現を難しいものにした。時間をつくり、メーカーを訪ね歩いた。だが生半可な織りの技術では表現できないという。ようやく老舗の紳士用品店・銀座田屋と出合い、いいネクタイができた。

その後も傘やハンカチなどをつくった。いくつかの展示会に呼ばれ話題にもなった。そうしたなか、崇弥さんが仕事を辞めて会社をつくる、と言い出したのだ。

「これで食べていけるはずがないと、逡巡しました。それでも崇弥が辞めると言うなら私もと、仕事を辞めました」

両親が反対するなか、2人は株式会社を立ち上げた。18(同30)年のことである。

取材・文 鳥飼新市
撮影 富本真之


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 6月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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