『理念と経営』WEB記事

相容れないものを融合させる経営力を磨け

シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役 渋澤 健 氏 ✕ 歴史家・作家 加来耕三 氏

渋沢栄一がまもなく新一万円札の顔になる。経済人として初の採用であり、満を持しての登場ともいえる。そこで今回お招きしたのが渋沢思想の研究・普及活動を行ってきた玄孫の渋澤健氏である。本誌連載「近代起業家列伝―渋沢栄一が一目置いた逸材たち」の著者・加来耕三氏との対談を通じて、不朽の名著『論語と算盤』の核心に迫る。

起業を契機に向き合った、
渋沢栄一の“言葉という遺産”

―来たる7月から、渋沢栄一がいよいよ新一万円札の顔となります。佳節を目前に控え、改めてその英知に学びたいと思い、この対談を企画いたしました。

加来 渋澤(健)先生は、経営者としてのお仕事のかたわら、ご著作や講演などを通じて、渋沢栄一の思想の研究・普及に努めておられますね。やはり少年時代から、5代目子孫としての強い自覚をお持ちだったのですか?

渋澤 いえ、それがまったくそうではないんですよ。渋沢栄一の玄孫であることは、あまり意識せずに育ちました。子ども向けの栄一の伝記を読んで、「ふーん、偉い人だったんだなぁ」と思う程度でした(笑)。有名企業500社をつくって育てた人ですが、私が継ぐべき会社があったわけではないですし、資産は一切引き継いでいませんから……。

加来 渋沢栄一は財閥を築くことなく、財産はすべて公のために用いた人でしたからね。そのことも偉人たる証しと言えます。

渋澤 もちろん、私もそのことに納得はしていました。ただ、私は父の仕事の関係で小学2年から大学時代までアメリカで暮らしたこともあり、栄一とは遠いところで生きていたのです。

そんな私が改めて栄一の思想と正面から向き合ったのは、2001(平成13)年に自分の会社を立ち上げたことがきっかけでした。経営者としての出発にあたって、栄一の思想から学ぶべきことが多々あるのではないかと考えたのです。そこから著作を読み進むうちに、栄一は私たち子孫に“言葉という遺産”を遺してくれたのだと気づきました。その遺産はお金のように減ることもないし、相続税もかかりません(笑)。

加来 栄一が一万円札の顔に決まったときというのは、どんな感じだったのですか?

渋澤 一般の人たちと同じく、ニュースで知りました。経済人が一万円札の顔になるのは、実は初めてのようですね。

加来 歴代の一万円札を振り返っても、栄一ほどふさわしい人物は他にいないと思います。「日本資本主義の父」であり、近代日本の礎を築いた偉人なのですから。その意味では、満を持しての登場といえるのではないでしょうか。

渋澤 新千円札が細菌学者の北里柴三郎で、新五千円札が女子教育の先駆者である津田梅子 、新一万円札が渋沢栄一―三者の組み合わせには、「これからの日本はこの方向に進むべきだ」という思いが込められているのでしょう。科学を大切にし、女性の活躍を推進し、教育を重んじ、ビジネスではサステナビリティ(持続可能性)などの倫理面を重視する方向に舵を切ろう、と……。

加来 栄一の数多い著作のうち、日本でいちばん読み継がれているのが『論語と算盤』ですね。渋澤先生も、ずっと「論語と算盤」経営塾を主宰されています。『理念と経営』の読者の間でも、『論語と算盤』は人気が高いようです。

―はい。そもそも『論語』関連の長期連載も複数ありますし、『論語』を真剣に学ばれている経営者が読者には多いのです。

渋澤 米国の著名な経営者には、中国古典では『論語』よりも『孫子』を愛読している人が多いですね。そうした日米の違いは興味深いです。

加来 『孫子』は兵法書であり、戦略・戦術の基本が書かれているものですからね。米国の経営者にとって、経営戦略は軍事戦略と親和性が高いということでしょう。一方、日本の場合、むしろ人間力を磨くことによって、経営者として成長しようという志向性が強い。だからこそ『孫子』より『論語』なのでしょう。

渋澤 そうですね。対比的に言えば、『論語』は人としてのあり方を説いた書であるのに対し、『孫子』はやり方・ハウツーを説いた書ですから。

加来 現代日本人には宗教的バックボーンがありませんから、それに代わるもの、つまり倫理の土台になり得るものを求めるとしたら、やはり『論語』になるのではないでしょうか。およそ2500年前に成立した書ではありますが、内容は現代にも十分通ずるものだと思います。

その『論語』をベースにした『論語と算盤』ですが、これは栄一が公職を離れてから刊行された講演録ですね。

渋澤 ええ、1916(大正5)年刊です。そのことは、『論語と算盤』を考える上で大事なポイントです。つまり、福沢諭吉の『学問のすゝめ』(明治5年刊)のように維新直後に出た本ではなく、明治後期から大正時代にかけての、日本がかなり豊かになっていた時代の書物だということです。にもかかわらず、栄一はその中で日本の行方に危惧していて、言葉に怒りを感じます。

加来 それは、当時の経済発展が、栄一から見ると著しくバランスを欠くものだったことへの怒りでしょうね。私利私欲のみで大儲けしている人たちが多くて、「国のため、国民のため」という公に対する思いを持った経営者がごく少なかった。そして一方では、江戸時代の武家社会の名残で、お金儲けは卑しいことだという偏見も根強かったのでしょう。

そうではなく、経済と道徳のバランスを保つことが肝要だ、儲けたお金を公のために用いるならそれは「よい金儲け」だというのが、栄一の「道徳経済合一説」でした。それをわかりやすく世に広めるために、公職を退いたあとで刊行されたのが『論語と算盤』だったのだと思います。

渋澤 そうですね。渋沢栄一という人を考えるにあたってポイントとなるのは、彼が武家ではなかったということだと思います。豪農で、「藍玉」(藍の葉を発酵させて固めた染料)の製造販売を手広く行う商人の家に生まれたのです。だからこそ、極めて合理的な考え方ができたし、お金儲けが卑しいなどという考えは持っていなかった。農民の気持ちも理解できたし、一方では教養人であった父や従兄の尾高惇忠から『論語』などの手ほどきを受けていた。そうした土台が、後年に「道徳経済合一説」という思想に結実したのだと思います。

加来 しかも、栄一がすごいのは、その「道徳経済合一説」を、実業の世界で自ら実践して見せたところです。500社もの企業の創業に関わったのですから。そのすべてが日本という国の発展を考えて成し遂げたことであり、そこにはまったく私利私欲がなかった。余人をもって代え難い、不世出の偉人だと思います。

「『と』の価値創造」が
社会を変える力になる

渋澤 加来先生のご意見には同感なのですが、一つだけ小さな異を唱えさせていただくと、私は『論語と算盤』や「道徳経済合一説」を、「道徳と経済のバランスの問題」とは解釈していません。言葉尻をとらえるようで恐縮なのですが……。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 6月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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