『理念と経営』WEB記事

第97回/『THINK BIGGER――「最高の発想」を生む方法』

イノベーションの「仕組み化」に挑戦した書

『理念と経営』2024年4月号の巻頭対談で、遠藤功先生(シナ・コーポレーション代表取締役/元ローランド・ベルガー日本法人会長)が次のような発言をされています。

《某大手医薬品メーカーでは、創薬のイノベーションを生み出す仕組みがつくれないかと考えて挑戦していたそうです。しかし、私が同社の幹部とお会いしたとき、「イノベーションを生み出す仕組みはつくれませんでした。結局、最後はセレンディピティ(偶然の発見)を待つしかないのです」と言っていました》

「この手順に沿って実行すれば、イノベーションが生み出せる」――そんな「仕組み化」を成し遂げることは、すべての経営者・クリエイター・開発者等の見果てぬ夢でしょう。
だからこそ、イノベーションに結びつくアイデア創出法の解説書が、たくさん刊行されてきたのです。

もう10数年前になりますが、私はそのたぐいの本をまとめて読み漁ったことがあります。
玉石混交でしたが、その中で数少ない「玉」だと感じたのが、米国の心理学者ロバート・ワイスバーグの『創造性の研究』(メディアファクトリー)と、ジェームズ・W・ヤングの『アイデアのつくり方』(CCCメディアハウス)です。

久々に、その2冊をしのぐ「アイデア本」の名著に出合いました。それが今回取り上げる『THINK BIGGER――「最高の発想」を生む方法』(NewsPicksパブリッシング)。これは、『創造性の研究』や『アイデアのつくり方』の内容をさらに発展させ、最新の知見でアップデートしたような内容であり、イノベーションの「仕組み化」という夢に挑戦した書です。

この本で展開される“イノベーション「仕組み化」メソッド”は、管見の範囲では最も理にかなっており、かなり実践的で「使える」内容だと感じました。

『選択の科学』著者の13年ぶりの新著

著者のシーナ・アイエンガーは全盲の心理学者で、米コロンビア大学ビジネススクールの教授です。
彼女はイノベーション、選択、リーダーシップ、創造性研究の世界的第一人者として知られ、世界で最も影響力のある経営思想家50人を選ぶランキング「Thinkers50」に、これまで3度にわたり選出されています。

アイエンガー教授の名を広く知らしめたのは、前著『選択の科学』(文春文庫)が世界各国でベストセラーになったことでしょう。同書は、彼女のテーマの1つである選択を巡る研究を、一般向けにまとめたものです。

アイエンガー教授の著名な業績として、「選択肢が多いほど、選ぶ側のモチベーションは上がる(=購買意欲をそそる)」という心理学の定説を、研究によって覆したことが挙げられます。

それは、彼女がまだ大学院生だったころに行った「ジャムの研究」。食料品店の試食コーナーに、ジャムを6種類並べた場合と24種類を並べた場合を比較する実験で、前者のほうが6倍以上も高い売上が上がったのです。
この研究で「多すぎる選択肢は逆に意欲を削ぐ」ことがわかり、それはマーケティングなど幅広い分野に多大な影響を与えました。

「ジャムの研究」を筆頭に、選択を巡るさまざまな考察を集めた『選択の科学』は、科学啓蒙書の枠を超え、ビジネスパーソンや経営者にもよく読まれています。
一例を挙げれば、「星野リゾート」の星野佳路社長も『選択の科学』の愛読者で、同書を社員教育の教科書の1つとして用いているそうです。

『選択の科学』が刊行されたのは2010年ですから、昨年(2023年)刊行された『THINK BIGGER――「最高の発想」を生む方法』は、アイエンガー教授にとって実に13年ぶりの著書ということになります。

最先端の研究を踏まえたアイデア創出法

本書は、アイエンガー教授がコロンビア大学で担当している人気講座「Think Bigger」(=もっと大きく考える)を書籍化したものです。
「Think Bigger」は講座名であると同時に、教授が編み出したアイデア創出メソッド(手法)の名称でもあります。

約10年前、教授が「コロンビア大学ビジネススクール起業支援センター」のディレクターに就任したことを機に、「Think Bigger」メソッドは誕生しました。ビジネススクールで学ぶ学生たちに、起業のためのアイデアを生み出す手法を教える目的で始まった講座なのです。

アイエンガー教授は、イノベーション研究史を踏まえたうえで、最先端の心理学や神経科学(脳科学)などの知見を盛り込み、独創的なメソッドを作り上げました。
たとえば、教授はこう言います。

《イノベーション研究の分野にはさまざまなアイデア創出法があるが、それらは半世紀以上も前に開発されたもので、最近の神経科学の「学習+記憶」と呼ばれる画期的発見を取り入れていない。今では、人間が創造するときに脳内で何が起こっているのかを、実際に目で見ることができるのだ》

そして、第1部では理論を、第2部では手法の柱となる6つのステップを1章ごとに取り上げる形で、「Think Bigger」の内容が詳しく解説されていきます。

イノベーションというと、「天才のひらめきによってなされる、無から有を生み出すような創造」のことだと思い込んでいる人が多いかもしれません。しかし、それはすでに否定された考え方です。

たとえば、先に挙げた『創造性の研究』は、人間がアイデアを生むまでの心理メカニズムに科学のメスを入れた本ですが、その結論は、“天からひらめきが降りてくるような創造など存在しない”というものでした。
古今の天才たちもゼロから創造を行ったのではなく、先人たちの仕事を参考に、長い訓練と準備を経て行ったのだと、著者は言うのです。

また、やはり先に挙げた『アイデアのつくり方』は、米国で1940年に刊行された古典的名著ですが、その主張の根幹は「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」というものでした。

本書も同じ前提に立っています。
著者は、《イノベーションとは、複雑な課題を解決するための、古いアイデアの新規かつ有用な組み合わせである》と定義し、アンリ・ポアンカレ(フランスの数学者・物理学者)の次のような言葉を引用しています。

「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせをつくることである。発明とは見抜くことであり、選択することなのだ」(『科学と方法』より)

イノベーションの要諦は、既存の要素からいかに「新規かつ有用な組み合わせ」を選択するかにあります。選択について研究してきたアイエンガー教授が「Think Bigger」講座を立ち上げた理由も、1つにはそこにあるのです。

そして、イノベーションが「天才のひらめき」ではなく組み合わせの妙から生まれるとしたら、“誰もがイノベーションを起こせるようになるメソッド”はあり得るでしょう。本書はまさに、そのメソッドを教える内容なのです。

じっさい、アイエンガー教授が「Think Bigger」講座を始めて以来、《多くのMBAやエンジニアが、これをもとにイノベーションを生み出している》(「訳者あとがき」)といいます。

適切な課題設定が何よりも重要

アイエンガー教授は、イノベーションのプロセスを6つのステップ――1.課題を選ぶ、2.課題を分解する、3.望みを比較する、4.箱の中と外を探す、5.選択マップ、6.第三の眼――に分け、各1章を割いて詳しく解説しています。

6つのステップの詳しい説明は省きますが、課題設定とその「分解」(「メイン課題」の解決につながる数個の「サブ課題」に分ける)に2ステップを割いている点が、「Think Bigger」メソッドの特徴でしょう。それくらい、課題設定を重視しているのです。

《Think Biggerでは、まるまる1つのステップを使って、「意味があるほどには大きいが、解決できるほどには小さい課題」を特定する。またその課題は、それに関わる全員が理解し、解決したいと思うものでなくてはならない。このステップはとても重要だ。課題の解決に進む前に、十分な時間と労力をかけ、何度も書き直し、じっくり考えて、課題を適切に定義することが絶対的に欠かせない》

また、課題を適切に選ぶことの重要性を示すデータとして、次のような研究が挙げられています。

《オハイオ州立大学の経営学者ポール・ナットが、過去 20 年間に358社の企業が下した事業上の意思決定を調べたところ、そのうちの半数が、間違った課題を解決しようとしたせいで失敗していることがわかった。なかでも多かった間違いは、解決策を押しつけることだった。たとえば、「この新技術をどう活用すべきか?」など。技術は課題を解決するためにあるのだから、課題を定義することが先に来るべきなのに》

《この現象は企業アドバイザーのトーマス・ウェデル=ウェデルスボルグの研究でも報告されている。106人の経営幹部を対象とする調査で、半数の人が、課題だと思っていたことを解決しようとして多大な時間と労力を費やしたあげく、本当の課題が別にあったことに気づいた経験があった。つまりナットとウェデル=ウェデルスボルグの結論は同じだ──人は課題を定義するステップを怠り、解決策に飛びつくことが多い。そしてたいていの場合、失敗する》

「我が社が取り組むべき課題はわかりきっているし、全社員が同じ課題を同じように理解しているはずだ」と思い込む――これは、中小企業経営者にもありがちな勇み足でしょう。

「6つのステップ」で大きな課題も解決

各ステップの解説の中で、アイエンガー教授は古今の素晴らしいイノベーションの事例を挙げています。
NetflixやAmazon、Google、Microsoftなどの成功も、イノベーションに焦点を当てて分析されていますが、ビジネス事例に限りません。
マハトマ・ガンディーやキング牧師が行った社会改革、ポール・マッカートニーがビートルズの名曲「イエスタデイ」を生み出したプロセスなどもイノベーションとして捉え、それらを「6つのステップ」に当てはめて解説しているのです。

それらの解説は、単純に物語としてもすこぶる面白いものです。
また、ビジネス上の課題のみならず、大きな社会的課題や個人的課題も、すべては「Think Bigger」メソッドで解決できることがわかり、その汎用性に驚かされます。

本書の帯には《一生使える思考術の名著》という惹句が躍っていますが、中小企業経営者にとっても「使える」内容です。

当たり前のことですが、イノベーションは大企業の専売特許ではありません。資金や人材などのリソースが比較的乏しい中小企業でも、本書のメソッドに沿って試行錯誤をくり返せば、きっとイノベーションが生み出せるでしょう。
また、世界を変えるようなスケールでなくても、自社や顧客の課題解決につながったなら、それは立派なイノベーションなのです。

シーナ・アイエンガー著、櫻井祐子訳/NewsPicksパブリッシング/2023年11月刊
文/前原政之

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