『理念と経営』WEB記事

デザインの力で プラスチックの概念を覆す

本多プラス株式会社 代表取締役社長 本多孝充 氏

プラスチックの成形メーカーである本多プラス(愛知県新城市)は卓越したデザイン力で目覚ましい活躍を見せている。同社を率いる本多社長の思考、そして描き出す未来とは。

「中小企業は一寸法師の針を持て」

本多プラスの3代目・本多孝充さんは、プラスチック成形会社をデザインの力でクリエイティブ企業に変えた立役者だ。

大学を出て3年間、超音波応用機器メーカー・本多電子を創業した叔父の敬介さんのもとで働いた。その後、英国にMBA留学をする。

留学中に叔父が亡くなり、葬式に戻ってきた。そのとき、父が経営する本多プラスの幹部から「帰ってきてよ」と懇願された。メインの事業である修正液の容器の売り上げが落ちている、と言う。この言葉に背中を押され、1997(平成9)年に家に戻った。27歳だった。

――本多電子での学びが大きかったと伺っています。

本多 叔父を見ていてカッコいいなと思っていました。トヨタやそのグループ企業の幹部たちを前に「これからはGPS(全地球測位システム)の時代がくる」と堂々とレクチャーをしたり……。従業員百数十人の会社の社長が、です。

叔父は「中小企業は一寸法師の針を持て」とよく言っていました。「中小企業でも優れた技術と先見性があれば世界に冠たる企業になれる」と。

――その決意で戻られた?

本多 とんでもない。とにかく目の前の仕事を一生懸命やることしか考えていませんでした。まずは、お客さんである文具メーカーを訪ね話を聞きました。修正液の容器に何が求められているのか、逆に自分たちの仕事はどんなポジションなのか、どのくらい付加価値をつけることができるのかなどを知りたかったのです。わかったのはうちのようなサプライヤーは常にコストダウンを求められ、自分ではプライシングもできないということです。

そんななかで仕事を続けていて一番困ったのが、金型を修理することでした。愛知県には金型を修理できるところがなく、大阪や東京に持っていくしかないんです。

――金型はよく壊れるんですか?

本多 欠けたり、ちょっとした傷がついたり……。すると修理できるまで工場の機械が止まるんです。なんとか自社で修理ができないかと、若手の人たち3人で金型の内製を始めました。最初は旋盤しかなかったので、なかなかうまくいかない。古参の社員たちからは「職人技をなめるな」なんて言われる。僕が間に入ってなだめ、父を説得して安い中古のマシニングセンター(工作機械)を買って、少しずつ続けていきました。

――諦めなかったわけですね。

本多 はい。初めて型ができたときは嬉しかったですね。いまブロー成形の金型は100%内製品です。

――何が変わりました?

本多 スピードとコストです。数百万円していたものが数十万円でつくれる。1カ月半かかっていたのが3、4日でできる。〝これで勝てる〞と化粧品メーカーに挑みました。

“文化とは何か”
この問いとともに歩む

大宮工場(新城市)の1階ロビーは、さまざまな容器が並べられた本多プラスのショールームになっている。修正液や目薬、化粧品の容器など一度は使ったことがあるものに加えて、実にオシャレな容器などが並べてあり、見ていてあきない。

留学時代、ハロッズ百貨店のクリスマス・ディスプレーの香水瓶を見て、その美しさに〝容器は付加価値になる〞と思ったそうだ。それが一つのヒントとなり、「本多プラスの容器に入れれば売れる、と言われるようになるという究極の目標が生まれた」と本多さんは語る。



『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
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取材・文/中之町 新
撮影/亀山 城次


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 5月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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