『理念と経営』WEB記事

生き残るには自分が店を変えるしかない

有限会社岡埜本店 取締役副社長 榊 萌美 氏

「お父さんとお母さんのお店を継ぎたい」

今年で創業137年目を迎える老舗和菓子店「五穀祭菓をかの」。その6代目女将が榊萌美さんだ。いまではすっかり『店の顔』となった彼女だが、元々は教師を目指していて、店を継ぐ気はなかったという。

転機となったのは、大学時代、母親が脳腫瘍を病み、手術のため入院したこと。見舞いに行った病院で、両親が「閉店しようか」と深刻な相談をしているのを、病室のカーテン越しに偶然聞いてしまったのだ。

「幸い、母は回復していまも元気ですが、当時は『もう働けないかも』と考えたのでしょうね。私はそれを聞いて、『お店がなくなったら悲しいな』とは思ったのですが、自分が継ごうとは思えませんでした」

だが、約1週間後に起きたもう一つの偶然が、彼女の運命を変えた。道で同級生の母親に会い、立ち話の中で「お店を継ぐんでしょ?」と聞かれたのだ。

「『どうして?』と聞き返したら、『だって、小学校の卒業式でそう言ってたじゃない』と言われて驚きました。私自身はそのことを忘れていたからです」

帰宅して、卒業式の模様を収めたビデオを引っ張り出して見た。その中で小学6年生の榊さんは、「お父さんとお母さんのお店を継ぎたい」と、将来の夢をまっすぐな瞳で語っていた。そのときの自分の気持ちまで鮮明に思い出し、身震いするような感動を覚えた。店を継ぐことを決意した瞬間である。

10年赤字の決算書を見て固めた「経営者としての覚悟」

榊さんは、店を継ぐと決めてすぐ両親にその決意を告げ、翌日には大学中退の手続きをした。社会人経験がゼロだったため、家業に入る前にその点を補うべく、バイト先のアパレルショップに頼み込み、正社員にしてもらった。

「いま思えば、同業他社で修行すべきでしたね(笑)。ただ、商売の基本はその店で学べました」

2年後の2016(平成28)年、20歳で家業に入社。店で働くうち、問題点がいろいろ見えてきた。

「たとえば、廃棄ロスの多さとか。とくに、葛ゼリーという商品は2日しか保たないし、ほとんど売れないので、『売るのやめたら?』と母に言ったら、『アンタ、子どものころあれが好きだったのに』と言われたんです。その一言で、葛ゼリーを凍らせて食べるのが好きだったことを思い出して、アイスにするアイデアがひらめきました」

コンビニでバイトをした経験から、アイス類が長持ちすることを知っていたので、凍らせることで日持ちの悪さが解決できると考えたのだ。

たまたま、一週間後に地元の夏祭りが控えていた。父に頼んで試作してもらった冷凍葛ゼリーを、「葛きゃんでぃ」と命名して祭りで売ってみた。

「それが2日間で1000本も売れたので、正式に商品化したんです」

アイスにすることで半年保つ商品になり、「溶けないアイス」というセールスポイントも生まれた。榊さんが入社4カ月目にして生み出した「葛きゃんでぃ」は、のちに最大のヒット商品となる。

その後、入社から4年を経て、榊さんは取引先の信用金庫が運営する経営塾に通い始めた。

「経営の基本がわかっていなかったので、後を継ぐためには勉強しないといけないと思ったのです」

塾で読み方を学び、初めて店の決算書を見てみた榊さんは、仰天した。過去10年間にわたって赤字続きだったことを、そのとき初めて知ったからだ。

「当時の年商が1億円前後だったのに、毎年1000万円程度の赤字が出ていました。そのままだったら、遠からず倒産していたでしょう」

社長である父・信明さんは昔気質の職人で、若い層の和菓子離れなど、時代の変化に対応できていなかった。生き残るには自分が店を変えるしかない――榊さんはそう思い定めた。翌年、25歳で副社長となる。

取材・文・撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 4月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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