『理念と経営』WEB記事

経営理念の共有で 「まかせる経営」を実現

株式会社生活の木 代表取締役社長CEO 重永忠 氏

来店したお客さまに自然の恵みを届け、幸せになってもらいたい。そのために株式会社生活の木(東京都渋谷区)は社員主体の「まかせる経営」を行っている。重永社長は、社員は家族と言う。

祖父は写真、父は食器
私はアロマ

生活の木は、日本にハーブやアロマテラピーを広めてきたパイオニア的企業である。

いただいた重永忠さんの名刺。名前の下に「MY AROMA[ヒノキ]」とあった。ご自身の好きな香りなのだそうだ。
「自分の香りを持てば、生活が少し豊かになるし潤うと思うんです」。重永さんは、そう話す。

マイアロマは、アロマのある暮らしを広めようとする取り組みの一つなのだという。東京・原宿の本店にはAIの質問に答えるとその人の好きな香りが選び出せる機械も設置されていた。

――重永さんは3代目ですが、初代は写真館、2代目は西洋陶器、3代目はアロマと、 “代は継いでも事業は継がない”という承継が続いています。

重永 ええ。暗黙の家訓みたいなもので、子どもの頃から「前のことは気にせず自分の時代をつくりなさい」と言われてきたんです。
 父は写真館を手伝っていて、よく代々木にあった米軍住宅に写真を撮りにいったそうです。アメリカ人の食卓を見て “日本にも洋食文化がくる”と思い洋食器やテーブルウエアの道に入ったんです。

――閃いたわけですね。

重永 そうです。私は学生時代に父がアメリカ西海岸の外食産業を視察に行ったときのお土産の中にあったハーブが気になりました。自然のものを満喫しようとするヒッピーたちのライフスタイルを見て、父が買ってきたんです。

――ラブ&ピースですね。

重永 ええ。私もロックが好きだったので、ヒッピーのことは知っていました。それに小学校6年で患った腎臓病を漢方薬で治した経験があって、同じ薬草ですから普通の人より敏感にハーブを受け入れる素地もあったんでしょう。“いずれこうした自然志向が必要となるんじゃないか”という小さな予兆からスタートしたんです。

――洋食器店の片隅にハーブコーナーを設けられたとか。

重永 大学に通いながら父の店でアルバイトをしていて、「ワンコーナーつくりたい」と始めたんです。やっていたら、商売が大学の授業よりも面白くなりました。

その頃、エッセイストの熊井明子さんの『愛のポプリ(講談社)』という本がきっかけでポプリブームが起きたんです。たまたま近くの大学のマンガ研究会の学生がアルバイトにきていまして、マンガで何かできたら面白いなと思いました。彼女たちのツテでマンガ家の佐藤まり子さんと出会い、ポプリづくりが好きな女の子を主人公にしたマンガを描いてもらったんです。

――仕掛けられたわけですね。

重永 そうなんです。講談社の『なかよし』という雑誌に連載された『あこがれ 二重唱』です。このマンガでポプリブームがさらに盛り上がり、小学生や中学生たちがお店にくるようになりました。そのへんから “これはいけるんじゃないか”という事業欲のようなものが生まれたんです。

知られていないからパイオニアになれる

社名の「生活の木」は、聖書に出てくる言葉で “生命の自然の摂理”という意味なのだそうだ。同社の理念に込められた「自然」「健康」「楽しさ」という価値と見事に響き合う。
 最初は先代が自社の「陶光」でつくる陶器のブランドに「生活の木」という名を使っていたのだが、1986(昭和61)年にそれを社名にした。

——日本にハーブやアロマテラピーの文化を広められたわけですが、一番ご苦労されたことは?

重永 知名度がなかったことです。ポプリの次にハーブ茶を開発したのですが、どこに行っても「ハブ茶? えっ沖縄の?」と言われる。それほど知られていない。だけど、よく考えればそれはパイオニアになれる可能性があることだな、と。オンリーワン企業になれるかもしれないと思い始めました。


『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
(画像のクリックをお願いいたします  ※毎月20日公開!)

取材・文/中之町 新
撮影/鷹野 晃


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 4月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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