『理念と経営』WEB記事

大義と「緻密な戦略」の 先にこそ光が見える

株式会社学研ホールディングス 代表取締役社長 宮原博昭 氏 ✕  一橋大学名誉教授 野中郁次郎 氏

かつて「底なし沼」の業績低迷に喘いでいた学研。そのトップに就任した宮原博昭社長は、次々に経営改革を推し進めながら同社を高収益企業へと蘇らせた。現在は教育だけでなく、高齢者福祉分野への事業展開を加速させるなど、新境地も切り拓いている。経営の師と仰ぐ野中郁次郎・一橋大学名誉教授との語らいから浮かび上がった「企業再生の要諦」とは―。

経営とは“人の死なない戦争”。
だから経営戦略は軍事戦略に近い

―宮原社長は、ご著書の中で野中先生を「恩師」と呼んでおられますね。まずはその出会いから伺えますか?

宮原 野中先生は1979(昭和54)年から82(同57)年まで、防衛大学校の教授を務められました。一橋大学教授になられる前ですね。その時期が、僕が防衛大学校の学生だった4年間とピッタリ重なっていたのです。

野中 私はアメリカから帰国して日本企業の研究を始めたのですが、どの企業も自社の失敗については語りたがらないですね。成功事例ばかり調べていたら研究が偏ってしまうので、それを補うべく、戦史における失敗の研究を始めました。防衛大学校にはその縁で行ったのです。そのときの研究がのちに、いまも読み継がれている『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(共著/中公文庫)となって結実するわけですが。

宮原 授業内容とは別に、強く印象に残った出来事があります。まだ小さかった娘さん2人を連れて、1人は肩に乗せられて講義なさったことです。

野中 そんなこともありましたね。防大の官舎に家族で住んでいたんですが、妻に出かける用事がある日は、仕方なく娘たちを連れて行ったんです。こんなことは防大始まって以来だったのでしょう(笑)。

宮原 僕は当時空の部隊にいて、将来は国防に尽くそうと決意していました。民間に出る気はなかったのです。でも、縁あって学研ホールディングスの社長になってから、若いころに防大で野中先生から学んだことが、経営にすべて活きたんですよ。

野中 経営戦略と軍事戦略には、非常に近い面がありますからね。そもそも、経営とは“人が死なない戦争”みたいなものです。各企業は厳しい競争環境の中で生き抜こうとしているわけだから……。私が企業のイノベーション研究と戦史の研究を2本柱としてやってきたのも、2つの分野に共通項が多いからです。

宮原 野中先生の授業は実践的なケーススタディーだったので、当時の学びをそのまま学研の経営戦略に活かすことができました。
社長になるはるか以前のことですが、学研に入社してから、「どうやったら学研は公文(株式会社公文教育研究会)に勝てるのか?」というレポートを書いて会社に提出したことがあります。防大時代に野中先生から教わった、ペプシコーラがコカ・コーラに勝利した事例を基にまとめました。つまり、ペプシを学研に、コカ・コーラを公文に置き換えて、リーディングカンパニーを攻略する方策を考えたわけです。

―宮原社長の経営者としての原点は、防大時代の野中先生からの学びにあるのですね。

宮原 その通りです。野中先生との出会いがなければ、経営者としての僕はありません。

学研「V字回復」の舞台裏にあった、「国を守る気概」

野中 私の授業が宮原さんの経営の土台になっていたなら、大変光栄なことです。私からは逆に、学研の社長になるまでの歩みについて聞いてみたい。防大卒で現場からの叩き上げというのは、御社の社長になるコースとしてはかなり異例なのでしょう?

宮原 異例中の異例です。学研の祖業は出版社であり、しかも長年『学習』と『科学』(小学生向け学習雑誌)が稼ぎ頭だったので、編集畑から社長になるコースが一般的でした。「編集にあらずんば人にあらず」という空気すら、かつての社内にはありました。僕は編集者出身でないばかりか、本社に移るまでの約20年間、正社員ですらありませんでした。ゆえあって国防の道を断念したあと、学研創業者・古岡秀人氏の「戦後の復興は、教育をおいてほかにない」という信念に共感して入社したのですが、勤務地限定職の嘱託社員としての採用だったのです。外様も外様で、本社に移ってからは冷ややかな視線を浴びて、ずいぶんくやしい思いもしました。

野中 にもかかわらず、本社に移ってからわずか6年で、しかも51歳という若さで社長になられた。当時、ほかの役員は全員年上だったそうですね。そのスピード出世に至るまでには、凄まじい努力があったのだと思いますが……。

宮原 「凄まじい」というほどではありませんが、努力はしました。
僕にとっては、防大時代より民間に出てからの生活のほうがはるかに楽でしたから。防大では毎日厳しい訓練があったので、周囲は皆同じくらい努力をしていました。僕は民間に出てからも、防大時代と同じくらい努力を続けていたんです。だから、いつの間にか差がついて目立ったということはあると思います。

野中 その努力によって、当時いた神戸支社の営業成績を全国トップに伸ばして、頭角を現したのですね。

宮原 はい。社長になったのはそれが評価されたからということもありますが、何より、当時の学研がジリ貧だったからです。それまでの20年間ずっと減収傾向が続いていて、内部留保もなくなって、幹部たち自らが「底なし沼」と呼んでいたような状況でしたから。生え抜きの幹部たちは、誰も火中の栗を拾いたがらなかった。だからこそ、傍流にいた僕に光が当たったのです。

―学研の看板だった『学習』と『科学』は、ピーク時にはトータルで月刊670万部も売れていたそうですね。それが、出版不況や少子化などの要因から部数が減り、宮原さんが社長に就任された10(平成22)年には休刊―つまりゼロになった。大変な苦境ですね。

野中 宮原さんならその苦境を乗り越えてくれるという期待もあったと思います。ご著書の中に、前任の遠藤(洋一郎)社長に「どうして私なのですか?」と社長指名の理由を聞いたら、「お前は唯一逃げないからだ」という答えが返ってきたという印象的な場面がありました。

宮原 確かに、軍事というのは勝つか負けるかで、どんな状況でも必ず生き延びて、あの手この手で勝つまでやり続けるしかない世界です。その世界で揉まれてきた僕には、「逃げる」という選択肢はありません。遠藤前社長がそういう意味で言われたのかどうかはわかりませんが、僕は「社長になるからには必ずこの危機を脱して、学研を再び成長させてみせる」と決意していました。

野中 「底なし沼」のような状況の中、宮原さんがどうやって学研をV字回復に導いていったのか? 読者もそこがいちばん知りたい点だと思います。

宮原 そのプロセスでも、防大で学んだ軍事戦略や、野中先生から学んだ経営戦略、組織活性化の方法論が、すべて活きたのです。

たとえば、軍事においては陸海空(陸軍・海軍・空軍)をいかに組み合わせて使っていくかということを、常に考えますね。三者の力を一つの目標に向けて集約することが、すべての戦略の基本です。それは学研に当てはめれば編集・営業・管理の三部門が力を合わせることでもあるし、売上構成の面で教育・高齢者福祉・出版といった各領域がそれぞれ力を発揮してシナジー効果を生むことでもある。

軍のトップが陸海空を常に意識するように、僕も学研グループ全体が力を発揮できる戦略を常に考えています。
勝つための戦略を緻密に練ることに関して、僕は専門家ですから、他の上場企業経営者の10倍は戦略を考えているという自負があります。

野中 そのあたりは、私がずっと研究対象にしているアメリカ海兵隊の「生き方」に通底していますね。彼らも、ずっと存在意義を問われ続ける中で新しいイノベーションを次々と実現してきました。太平洋戦争も、戦争の本質が「エア・シー・バトル」であることを見抜き、「水陸両用作戦」という新しいコンセプト、そして実戦を通じてそれを進化させていった海兵隊に負けたのです。

―いま言われた「高齢者福祉」の領域を大きく成長させたことが、V字回復の大きな原動力でしたね。とくに「学研ココファン」は、「サ高住」(サービス付き高齢者向け住宅)のパイオニア的存在であり、いまや事業の大きな柱に成長しています。

野中 ずっと教育・出版分野でやってきた学研がサ高住というのは、畑違いに思えますが……。

宮原 そう見えますが、実はココファンは『学習』と『科学』から派生した新規事業なのです。『学習』と『科学』は家庭への訪問販売がメインだったわけですが、共働き家庭が増えて、訪問しても多くの家は留守か、おじいちゃん・おばあちゃんしかいなかった。そして、販売員がお年寄りと仲良くなっていろいろ話をすると、「住み慣れた場所で安心して暮らし続けたいけれど、近くの老人ホームは高くて入れない」という話題になる。「じゃあ、学研でそれをやろう」ということになって始まったのです。

野中 なるほど。そこに連続性があったわけだ。社長就任後、ココファンに大きく注力したのは宮原さんの戦略ですね?

宮原 はい。業績が悪くて資金的余裕がない中でしたが、ココファンには一点突破で思いきって投資しました。社長就任からの3年間で一気に40棟建設しましたから。ココファンがうまくいったのは、一つには学研のブランド力のおかげでした。教育に力を入れている優良企業というブランドイメージがあったので、「あの学研がやっている高齢者施設なら安心だ」と思っていただけるのです。

構成 本誌編集長 前原政之
撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 3月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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