『理念と経営』WEB記事

祖父が築いた会社を潰してなるものか!

株式会社まるだい運輸倉庫 代表取締役社長 秋元美里 氏

老舗運送会社が、カリスマ創業者を失って2つの派閥に割れ、そこから経営が悪化。倒産危機を乗り越えるために立ち上がった4代目の改革が、社風を変えていくまでの軌跡― 。

「もうこの会社、終わりだから」

まるだい運輸倉庫(以下「まるだい」)は、66年前、地元・小田原の海産物の運送業者としてスタートした。創業者の奥山武氏は人望厚いカリスマ経営者で、彼の力で事業は大きく拡大。現在の隆盛の基盤が、その代に築かれた。秋元美里・現社長は4代目で、創業者の孫、先代社長(奥山恵子・現会長)の姪に当たる。

秋元さんにとっても、創業者は敬愛してやまない特別な存在だ。

「幼いころから大好きな祖父でした。祖父から教わったことが、私の人生観の土台になっています。経営者としてはもちろん、人間として私の理想像なんです」
秋元さんの父方は、別の会社を経営している。

「私には弟がいて、父の会社は彼が継ぎました。まるだいは母方の会社ですが、叔母(先代)は未婚なので、継ぐとしたら私しかいなかったのです」

とはいえ、祖父や親から「継いでくれ」と言われたことはなく、その気もなかった。秋元さんは大学卒業後、ゲーム会社に就職。そこで、20代にして社内起業を任され、見事に成功させた。先代から「会社を手伝ってほしい」と請われて入社したのは、その後のこと。2007(平成19 )年、30歳のときである。

カリスマ創業者亡きあと、企業が混乱に陥るのはよくある話だが、まるだいの場合もそうだった。約20年前、会長職にあった創業者が世を去ると、扇の要を失った社内は2つの派閥に割れていったのだ。

それでも、秋元さんが入社したころには、まだ〝過去の遺産〞で仕事が回っていた。しかし、5年後の12(同24)年に結婚し、育児休暇を経て15(同 27)年に会社に戻ると、状況は暗転していた。

「育休から復帰した初日に、当時の経理部長が私のところに近寄ってきて、いきなり『もうこの会社、終わりだから』と言うんですよ。何かと思ったら、私がいなかった間に赤字に転落していたんです」

13年から15年まで3期連続で赤字となり、財務状況の急激な悪化が、融資を受けている銀行でも問題化していた。銀行との交渉の矢面に立つなど、いわば社長を守る防波堤になるために、急遽、秋元さんが副社長に就任した。それは、「株の継承権を持った、責任の取れる立場の人じゃないと、もう財務の話もしたくない」と、銀行側が望んだことでもあった。

そこから、倒産危機を乗り越えるための秋元さんの奮闘が始まった。

綱渡りの資金繰りと、「背水の陣」の値上げ交渉

「キャッシュが5000万円くらいしかないのに、月末には 1億円の支払いが迫っているとか、そういう綱渡りを強いられました。メインバンクには追加融資を断られて、M&A― つまり会社の身売りを勧められたりしましたね。『女性が乳飲み子2人抱えて会社を経営するなんて、無理でしょ』と鼻で笑われて、悔しい思いをしたこともあります」

それでも、秋元さんは感情的にならず、銀行から提出を求められた「向こう5年分の事業計画書」を、一人でコツコツまとめた。

「絶対にその事業計画書どおりにやってやろうと決意しました。そうしたら、5年後には計画書の数字を上回る業績が上げられたんですよ。1億を超える赤字だったものを、銀行からは『V字回復ならぬI字回復というくらいの勢いですね』と言われたくらいですから」

秋元さんが副社長として陣頭指揮を執った改革とは、どのようなものだったのか?

「社長(現会長)も私も、『リストラや給与カットは絶対にしたくない』という思いは 一 致していました。だから、コストダウンと売り上げアップの2つしか道はなかったんです。それを徹底してやっていきました」

たくさんの顧客との長いつきあいの中で、適正とは 言えない安い価格のまま仕事を請けている顧客も多かった。秋元さんはそうした先に 一 社ずつ出向き、値上げ交渉をしていった。それまで、そのような交渉をまったくしていなかったのである。

「当時、古いつきあいの顧客から随分嫌われましたね。『まるだいの新しい副社長はとんでもない!』と小田原中に噂が広まって......。でも、なりふり構っていられなかったんです」

値上げに応じてくれた顧客もいれば、そこでつきあいが断たれた顧客もいる。

「交渉決裂で大口顧客を失いましたが、長い目で見ればプラスでした。割に合わない仕事が減って、適正価格の仕事を新たに請ける余裕ができたのですから」

あの手この手の改革で、自発能動の社風に変化

コスト削減もガンガン進めていった。

「とくに、無意味な残業を減らしたことが大きな人件費削減になりましたね。それまで管理されずにダラダラと仕事をしていた分、削減できる幅が大きかったので。棚卸しに3日もかけていたものが、その気になれば 1時間で終えられたりとか......」

取材・文 編集部
写真提供 株式会社まるだい運輸倉庫


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 2月号「逆境!その時、経営者は…」から抜粋したものです。

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