『理念と経営』WEB記事

第87回/『人的資本経営 まるわかり』

「人的資本経営」は必須の重要概念

「人的資本経営」(Human Capital Management)という言葉は、2020年後半あたりから、多くのメディアで取り上げられ始めました。そしていまや、日本のビジネスシーンにおける最大の「バズワード」と言ってもよいでしょう。

バズワードとは、「曖昧な定義のまま広く世間で使われてしまう用語」を指します。
言葉として知ってはいても、改めて「人的資本経営ってどういう意味?」と聞かれると、自信を持って答えられる人は少ないでしょう。

しかし、流通の仕方がバズワード的であっても、「人的資本経営」という言葉は重要な意味を持っています。これからの企業経営は、「人的資本経営」を抜きにしては成り立たないからです。

たとえば、2022年に設立された「人的資本経営コンソーシアム」には、経済産業省・金融庁も参加しています。いまや、国を挙げて人的資本経営が推進されているのです。

岸田文雄総理も、2022年1月の施政方針演説の中で、次のように人的資本経営推進の方針を明言しました。

《第2に、「人への投資」の抜本強化です。
 資本主義は多くの資本で成り立っていますが、モノからコトへと進む時代、付加価値の源泉は、創意工夫や、新しいアイデアを生み出す「人的資本」、「人」です。
(中略)
 人的投資が、企業の持続的な価値創造の基盤であるという点について、株主と共通の理解を作っていくため、今年中に非財務情報の開示ルールを策定します》

総理のこの言葉どおり、昨年(2023年)3月期決算からは、上場企業を対象に、日本でも人的資本についての情報開示が義務化されました。

本書の「はじめに」には、次のような一節があります。

《人的資本経営は、これからの会社のあり方はもちろん、仕事のやり方もガラリと変えてしまうほどのインパクトをもったムーブメントなのです。人的資本経営の概念を知らずには、これからの仕事は進められない、といっても過言ではありません》

「人的資本経営」入門書の決定版

それほど重要な概念であるため、『理念と経営』でも2023年10月号において、「人的資本経営――他社と差がつく人づくり」という特集を組みました。
また、当連載でも、第47回で『人的資本の活かしかた――組織を変えるリーダーの教科書』(上林周平著/アスコム刊)を取り上げています。

『人的資本の活かしかた』は、副題のとおり、“人的資本経営の時代には、どのようなリーダーが求められるのか?”をテーマとしたリーダー論・組織論でした。
それに対して、今回取り上げる『人的資本経営 まるわかり』は、タイトルの通り、1冊丸ごとの人的資本経営入門です。

「人的資本経営」をタイトルに冠した経営書・ビジネス書は、すでにたくさん出ています。その中にあって、「人的資本経営について知りたい」と思った人が1冊目に読むべきなのは本書でしょう。

「はじめに」には、次のように書かれています。

《人的資本経営に関する書籍は多く出版されていますが、そのどれもが専門性が高く、前提知識が必要なものばかりです。本書では、そうした前提知識がなくても要点がつかめるように、人的資本経営の「幹の部分」だけをピックアップし、解説しています》

まさに“知識ゼロから読める入門書”であり、本書を読めば人的資本経営の全体像を的確につかめるでしょう。新書でボリュームも手頃であり、図版も豊富で分かりやすい内容です。

著者の岩本隆氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授)は、日本における人的資本経営研究の第一人者です。

たとえば、人的資本経営の隆盛は「HR(Human Resources)テクノロジー」の発達と深い関係を持っていますが、「HRテクノロジー」という言葉を日本で初めて公に発信し、広めた立役者こそ岩本氏なのです。

第一人者による入門書であるだけに、内容はすこぶる充実しています。人的資本経営の基本は、これ1冊で押さえることができるでしょう。

「企業は人なり」の21世紀的展開

人的資本経営について、経産省の公式サイトでは次のように定義されています。

《人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です》

これだけ読んでも、煙に巻かれたような気分になります。
とくに、日本では昔から「企業は人なり」「人材こそ最大の財産」と言われてきたので、「それと人的資本経営はどう違うのか?」と首をかしげる人が多いでしょう。
本書を読めば、そうしたモヤモヤ感が一掃されます。

《人的資本経営では、人材を資源(Resources)ではなく、資本(Capital)と捉えて経営を行います。資源は消費してなくなっていくものですが、資本は投資をして価値を高めるものです。ここに人的資本経営の特徴があります。
 従来、人材は「費用=コスト」と見なされていました。人件費という言葉がまさにそうです。(中略)しかし、人的資本経営ではそれを資本と捉え、投資を行うことで資産とし、その価値の最大化を目指します。人材という資本に投資を行い、リターンを生み出すというのが人的資本経営の基本です》

著者はそのように解説したうえで、それは日本で言われてきた「企業は人なり」の精神と、本質的には同じなのだと言います。

《時代の変化とともに異なる点はあるものの、本質的には、人的資本経営は、松下幸之助が言い出したといわれている「企業は人なり」を実践することに変わりはなく、その原点に立ち返ることが重要であるように思われます。その意味で、人的資本経営は、人材マネジメントのルネサンスといってもいいのではないでしょうか》

『理念と経営』読者にとって、松下幸之助の経営哲学は馴染み深いものです。ゆえに、この一節は「なるほど」と得心がいくのではないでしょうか。
人的資本経営という言葉は目新しいですが(ただし、「人的資本=Human Capital」は「近代経済学の父」アダム・スミスが作った言葉)、それはいわば「企業は人なり」の21世紀的展開であり、日本企業にとっては原点回帰でもあるのです。

人的資本経営が脚光を浴びる背景

日本では「企業は人なり」という形で古くから言われてきたことが、「人的資本経営」としてアップデートされ、世界的に脚光を浴びているのはなぜでしょう? 著者はその背景要因として3つのことを挙げています。

第1に、人材を資源ではなく資本として捉え、投資をして価値を高めようとする考え方が広まってきたこと。この点はすでに述べました。

第2に、産業構造の変化によって、バランスシート(貸借対照表)には載らない「無形資産」への注目が高まってきたこと。
量産型製造業が経済の中心だった時代には、有形資産の動き(工場や設備の規模など)だけ見ていれば企業価値が判断できました。
しかし、デジタルテクノロジーやソフトウェアが中心になってきたいまは、それらを生み出す頭脳=人材こそが企業価値を決定づけるので、人的資本という無形資産が重視されるようになったのです。

そうした流れに拍車をかけたのが、リーマンショックでした。

《欧米では、2008年のリーマンショックの影響をきっかけに、企業価値を判断する際に、有形資産の流れを示した従来の決算書の情報だけではなく、決算書には表れない「無形資産」も重視するべきだという意見が出てきました。
 その中でESG(環境・社会・ガバナンス)に代表されるような「非財務指標」も重要だという認識が投資家に広がります。実体を伴わない経済への批判が高まったことで、これ以降、金融資本主義から人材資本主義の流れが生まれたのです》

そして第3に、「HRテクノロジー」の隆盛という要因が挙げられています。

《「HRテクノロジー」とは、人事・労務業務分野で用いられるシステムやアプリケーションの総称で「HRテック(HR Tech)」とも呼ばれています。(中略)
 なぜこのHRテクノロジーが、人的資本経営に必要なのか。
 それは、ここまで説明してきたさまざまな人的資本経営を示す指標は、HRテクノロジーの力なくしては計測できないからです》

昔は数値化できなかった人材価値が、HRテクノロジーの進歩によって数値化・計測可能になり、データとして蓄積・分析できるようになったことが、人的資本経営がクローズアップされた大きな要因なのです。

中小企業にも人的資本経営は重要

「人的資本経営が大事なのはわかった。でも、それって大企業の話で、中小企業には関係ないのでは?」――そんなふうに思う中小企業経営者もおられるかもしれません。

しかし、本書の帯に「今、非上場企業こそおさえるべき最重要テーマ」という惹句が大書されているように、著者は人的資本経営をすべての企業にとって重要と捉えているのです。

また、「HRテクノロジーの導入」というと中小企業にはハードルが高そうですが、決してそうではないことを著者は指摘しています。

《国などのIT導入補助金を活用できる中小企業においては、HRテクノロジーの登場は人的資本経営に取り組む大きなエンジンとなる可能性があります。
 人手不足が深刻な中小企業では、人事担当者を新たに雇用するより、ツールを導入した方が安くて即効性があります。また、もともと人事システムをもっていない中小企業にとっては、導入によってゼロベースで人的資本経営に取り組めるという利点があります》

さらに、次のような指摘もあります。

《近年では、地域金融機関が融資の際に、中小企業に対しても人材データの開示を求める傾向にあり、人的資本経営は中小企業にとっても無縁ではなくなってきています》

上場企業のように情報開示が義務化されてはいないにせよ、人的資本経営に取り組むことは、中小企業にとっても喫緊の課題と言えます。これからの企業価値の重要な指標であるからです。

中小企業経営者が人的資本経営に取り組むための「はじめの一歩」として、本書を読むことをオススメします。

岩本隆著/PHPビジネス新書/2023年12月刊
文/前原政之

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