『理念と経営』WEB記事

帰属意識の高まりが、イノベーションの力に

株式会社イムラ 代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO) 井村 優[ゆたか] 氏

前例踏襲、事なかれ主義がはびこる社内を一変させたのは、リーマン・ショックに端を発した経営危機だった。満を持して取り組んだ社員の意識改革。訴え続けてきた「Give&Give&Give」の精神とは――。

いくら危機を訴えてもその声は伝わらない

封筒業界で長らく首位を走り続けるイムラ。近年は封筒以外のパッケージ商材にもビジネスの範囲を広げ、さらにDMの企画から発送までのすべてを請け負うメーリングサービス事業などにも注力するなど、老舗らしからぬ攻めの経営を行っている。だが、井村優社長が中途入社した30年前の同社には、こうしたパイオニア精神は皆無だったという。

「それまで証券会社で働いていた私は、無駄や非合理な仕組みがいくつもあることにすぐに気がつきました。それで上司に改善策を提案したのですが、儲かっているのだから余計なことをするなと、まるで相手にしてくれません。これがそのころの会社の体質だったのです。たしかに、当時は毎年最高益を更新し、社員もそれに見合う報酬を手にしていて、そのままで十分居心地がよかったのです。けれども私には、この状態が10年後も続くとはどうしても思えませんでした」

いくら危機感を訴えても、現状に満足している既存の社員たちにはその声がまるで伝わらない。しばらく悶々とした日々を送っていた井村氏だったが、2001(平成13)年に取締役資材部長に昇格すると、ついにコスト削減と社員の意識改革に乗り出した。しかし、そこに大きな壁が立ちはだかる。「役員会で私が何か提案しても変化を嫌う旧勢力に反対されて、ことごとく潰されてしまうのです。ならばと若手社員に直接自分の思いを伝えると、私の味方だとみられた途端にその社員は上司からにらまれ、職場で孤立してしまうのでそれもできません。八方ふさがりでストレスだけが日に日に膨らみ、一時期は精神的に相当きつかったことを覚えています」

井村氏は追い詰められ、赤字にでもならなければこの会社は変わらないとなかば諦めかけた矢先、幸か不幸か会社は創業以来初の赤字に転落する。リーマン・ショックに見舞われたのだ。さらに、そこから業績低迷が続き、赤字体質が改善しないまま13(平成25)年に井村氏は5代目社長に就任した。貧乏くじを引かされたようにもみえるが、改革を目指す井村氏にとっては好機到来だ。だが、すぐに大鉈を振るうようなことはしなかった。

「まず手をつけたのはモノとカネの整理です。機能していなかった子会社を清算し、ゴルフ場や保養所などの遊休資産は売却、社長専用車も廃止。資産台帳を自分で朝から晩までチェックして、売れるものはすべて売りました。こうして財務体質を強化してから、満を持して社員の意識改革に取り組んだのです」

「ここは自分の会社だ」と思える職場をつくる

その際、本当は経営陣や幹部社員はすぐにでも刷新したかったというが、無用な軋轢を避けるためにあえてそうはせず、彼らにミッションを与えて、それができるかどうかを見極めたという。

写真提供 株式会社イムラ


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 2月号「特集2」から抜粋したものです。

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