『理念と経営』WEB記事

第85回/『経営読書記録 表』

人気経営学者の書評/書籍解説集

一橋ビジネススクール特任教授の楠木建先生といえば、マスメディアに登場する機会も多く、人気の高い経営学者です。『理念と経営』では、折々に巻頭対談などにご登場いただいてきました。

楠木先生は、ロングセラーとなっている主著『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)や『逆・タイムマシン経営論』(日経BP/杉浦泰氏との共著)のような本格的経営書の著作を持つ一方、書評家としても広く活躍しています。

今回取り上げる『経営読書記録 表』は、昨年(2023年)末に刊行されたばかりの最新書評/書籍解説集です。400ページ近いボリュームで、193冊が取り上げられています。
それ以外に、書評で取り上げた著者との対談(内田和成、山口周、東浩紀、松田雄馬の各氏)も収録。また、書籍解説として書かれたものには長文も多く、すごい読み応えです。

タイトルの『表』とは何かというと、もう1冊、同等のボリュームを持つ『経営読書記録 裏』が同時発売されたのです。

《僕の最初の書評集『室内生活 スローで過剰な読書論』を上梓してから4年近くが経過した。本書は、それ以後の4年間で書いた書評のほぼすべてを収録してある。書き溜めていた書評の分量があまりに多く、『表』と『裏』の2冊に分けての刊行となった。
 表バージョンの本書は、書籍解説と雑誌の書評欄の連載、新聞・雑誌・オンラインメディアに書いた書評を集めた。個人で運営しているブログに書いた書評を中心に収録した裏バージョンも併せてお読みいただけるとありがたい》(「はじめに」)

「個人で運営しているブログ」とありますが、『裏』にはDMMのプラットフォームを用いた有料ブログ「楠木建の頭の中」に書いた書評を集めており、一般人が無料の個人ブログに書く書評とは異なります。
ともあれ、大ボリュームの書評集を2冊同時に刊行したこと自体、楠木先生が書評家としても売れっ子であることを示して余りあるでしょう。

一般書も経営学者としての視点から読み解く

『経営読書記録』というタイトルが示すように、取り上げられた本は経営書が多めです。
とくに、第1章に集められた書籍解説は大半が経営書・ビジネス書に寄稿したものであり、この章自体が本格的な経営論にもなっています。

ただし、2章以後は経営書に限らず、一般ノンフィクションや教養書、エッセイ、小説などを幅広く取り上げています。

一例を挙げれば、《破滅への加速――西村賢太の10作》は、2022年に急逝した私小説作家のベスト10作を選ぶ内容で、『本の雑誌』の追悼特集に寄せた文章です(余談ながら、私も楠木先生と同じく西村賢太氏の大ファンで、刊行された全作品を読んでいます)。

そのように、経営とは無関係の本も多数取り上げていますが、その場合にも経営学者としての視点が随所に顔を出します。

たとえば、西村賢太氏の日記に“プロとしての仕事ぶり”を見いだすなど、仕事論として読める部分もあります。また、プロ野球の落合博満氏の著作が複数取り上げられていますが、それらはリーダー論として読むこともできる……という具合です。

楠木先生は、経営学者の中でも屈指の「面白い文章の書き手」です。『ストーリーとしての競争戦略』がロングセラーとなっているのも、本として面白いからこそでしょう。
書評も優れたもので、おそらく、「自分は経営には興味ないが、楠木建の書評は好きだ」という読者も多いことでしょう。

《僕が書評を書く動機は、自分がその本から得た価値を他者と共有することにある。僕にとっての優れた書評の基準はただ一つ、「書評を読んだ人がその本を読みたくなるか」だ》
――「はじめに」にそんな一節がありますが、本書もまさに、取り上げられた本を読みたくなる書評集です。つまり、ブックガイドとしても有益で、私自身も読みたい本がかなり見つかりました。

そのうえで、本書は経営者にとっても学びとなる点が多い1冊なのです。

経営論としての卓見が随所に

本書に収められた書評から、経営論として傾聴に値する卓見を、3つほどピックアップしてみましょう。

《真の戦略的意思決定は「良いこと」と「悪いこと」の間の選択ではない。決断は常に「良いこと」と「良いこと」、もしくは「悪いこと」と「悪いこと」のどちらを選ぶのかという問題である。ここに決断の難しさがある。良いことと悪いことであれば、前者を選べばいいに決まっている。そんな仕事は誰でもできる。そもそも「決断」は必要ない》

――これは、鹿島茂『本当は偉大だった嫌われ者リーダー論』(集英社)など、3冊のリーダー論をまとめて取り上げた書評の一節です。

次は、ウォルター・アイザックソンの話題作『イーロン・マスク』(文藝春秋)の書評の一節――。

《マスクの正体は冒険家だ。誰もが不可能と思うことにチャレンジする。リスクを欲し、リスクに溺れる。生か死かという状況でないと元気が出ない。衝動的野心に突き動かされて、無理難題に挑戦するプロセスにしか精神の昂揚を感じない。あっさり言って、経営には向いていない。経営者としてはもちろん、起業家としてもまったく参考にならない。
(中略)
 一義的なモチベーションはフロンティアの追求── 20 世紀前半に「地球上の富の半分を持つ男」「世界でいちばん猛烈な男」と言われたハワード・ヒューズにそっくりだ。ヒューズの「航空」「映画」「飛行機」が、マスクにとっては「宇宙」「インターネット」「グリーンテック」だった。古いタイプのアメリカン資本主義者と言ってよい》

これは、イーロン・マスクの“人格のコア”を射抜く見事な分析です。同書は私も読みましたが、このような鋭い感想は私には持てませんでした。

もう1つ、ピョートル・フェリクス・グジバチ著『PLAY WORK』(PHP研究所)の書評の一節を引きます。

《タイトルにある「PLAY WORK」とは、「仕事と遊びの境界線があいまいで、仕事をしているのか遊んでいるのか分からない状態」を意味している。一見してチャラチャラした話に聞こえる。しかし、これこそが働き方改革の王道なのである。遊びであれば誰でも好きなことをする。好きこそものの上手なれ。公私混同ではなく、公私融合。これが生産性を高める。
 政府主導の「働き方改革」はやたらと労働時間の削減を叫ぶ。オンを少なくしてオフを充実させろ、という話なのだが、肝心の仕事が苦痛であれば問題は何も解決しない。オンとオフの境目がなくなれば、遊び上手になるように、仕事上手になることができる》

「働き方改革」に我々が感じた違和感を鮮やかな一閃で言語化する一節であり、この短い文章自体が卓抜な仕事論にもなっています。

以上のように、示唆に富む経営論・リーダー論・仕事論がちりばめられた書評集であり、中小企業経営者にも有意義な読書体験が得られるでしょう。

楠木建著/日本経済新聞出版/2023年12月刊
文/前原政之

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