『理念と経営』WEB記事
人とこの世界
2024年 1月号
いつも本気で一生懸命。だから、なすべきことが見えてくる

歌手・俳優 杉 良太郎 氏
歌手で、国民的な俳優である杉良太郎さんは、福祉活動や災害支援、各国との文化交流など、さまざまな慈善活動、社会活動を続けていることでも知られている。
そんな杉さんには、取材などで聞かれても、いつも答えに窮する質問があるという。「どうして社会活動を始めたんですか?」という質問だ。
「自分でも真剣に考えるんですが、答えが見つからないんです」
しかし、何か答えないといけない。よく「母から口癖のように『人には親切、慈悲、情け』と聞かされてきたからでしょうか」と答えてきた。
「だけど、本当に生まれついての“性分”と言うしかないんです」
3歳のときの、ある記憶を話してくれた。神戸の須磨寺の境内に物乞いの母子がいた。杉さんは、その母子の前に座り込んで泣いたそうだ。何もしないでこのまま通り過ぎることができなかったのである。
この記憶だけが、なぜか鮮明だと言う。そういう子どもだったのだ。
こんなこともあった。1989(平成元)年の秋。アメリカの喜劇王ボブ・ホープが来日した。彼のホテルの部屋には面会を希望する芸能人からのメッセージが山のように届けられた。それらを差し置いて、彼は杉さんに会いたいと申し出た。
会うと、こう言った。「彼らの俳優としてのキャリアは素晴らしい。だけど彼らはチャリティーをしていないんだよ」。そして右手を差し出した。
「私はアメリカのチャリティー王と言われている。杉は日本のチャリティー王だ。これは世紀の握手だ」
このボブ・ホープのように社会への貢献活動を正当に評価し、敬意を表する人物は、残念ながら日本では少ない。杉さんも「偽善だ」「売名行為だ」などと言われてきた。
「いいことをしても人の反発を買う。ジェラシーかもしれません」
それがうるさくて、まるで隠れキリシタンのように名前を伏せて寄付をしたりしていたこともあったそうだ。だが、いまはそれも乗り越え、淡々と続けている。自分がやりたいからやる。そういう精神なのだ、と言う。
感謝するのは、私のほうじゃないか
見返りを求めない一方通行の行為である。しかし、そうした活動を通してでしか得られないものもある。
それを杉さんは「真実」だと言う。杉さんは1944(昭和19)年8月14日、神戸に生まれた。
幼い頃から歌手になりたいと思っていた。15歳のとき、盲目の歌の先生に連れられ刑務所の慰問に行った。
「ステージに立つと見ている人たちが怖い。顔に傷のある人や入れ墨を入れた人たちばかりなんです」
足が震えたが、必死で歌った。拍手が起こる。泣いている人もいる。
「受刑者がおべんちゃらで拍手はしないだろうし、まして泣くことはない。これは何だろう、と思いました」
養老院で歌を披露することもあった。お年寄りたちがベッドの上で正座して、孫のような自分に手を合わせて「ありがとう」を繰り返す。
「感謝するのは、私のほうじゃないか、と思いました」
取材・文 鳥飼新市
撮影 鷹野晃
本記事は、月刊『理念と経営』2024年 1月号「人とこの世界」から抜粋したものです。
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