『理念と経営』WEB記事

世界への扉を開き、西陣織を未来に残す

株式会社細尾 代表取締役会長 細尾真生 氏

世界の有名ブランドが、「HOSOO」の西陣織に熱い視線を注いでいる。一時は衰退の危機に瀕しながらも、道を切り拓いた株式会社細尾(京都市中京区)の復活の軌跡。

待てよ、これは世界一の織物では?

1200年の歴史を持つ、高級絹織物の西陣織。その代表的な織元である細尾は元禄元(1688)年の創業で、会長の細尾真生さんは11代目にあたる。

家業を継ぐ気はなく、1975(昭和50)年に大学を卒業すると伊藤忠商事に就職した。繊維貿易本部に配属され、その後ミラノのアパレルメーカーに出向したという。

「世界を股にかけた仕事がしたかったんです」と、細尾さんは笑う。

――伊藤忠を選ばれたのは?

細尾 糸へん(繊維産業)に強い商社だったからです。織元で育ったからか、私も繊維が好きだったんです。

――繊維の魅力は何ですか?

細尾 人間の体を包む、守る。そのことで安心感を与え、心を豊かにする。そんな、人にとって非常にやわらかい、温かいイメージを繊維に持っていました。なかでも私のこだわりは天然繊維にあったんです。

――西陣織も絹ですね。

細尾 そうです。商社で繊維を勉強しながら、将来は自分の会社をつくろうと思っていました。世界にはいろんな染織文化があります。その文化交流をビジネスにしてみたい。そんなことを考えていたんです。

ところが、パリやミラノなどでさまざまな角度から繊維と関わるなかで、「あれ?」と、生まれたときから自分の周りにあった西陣織を見つめ直す機会が何度もあったんです。

――西陣織の再発見ですね。

細尾 はい。ほかの国のいろんな織物に比べても西陣織のほうが美しいし、技術的にも高度なんです。“待てよ、これは世界一の織物じゃないか”と思いました。最高の素材の西陣織を使って、たとえばファッションに落し込むと世界一のファッションショーができるな、などと考えるようになったんです。

――その西陣織の特徴、良さは?

細尾 西陣織は豪華絢爛なものが多いんです。金糸や銀糸も含めて多くの色を使って、しかも複雑な文様を織りで表現しています。ヨーロッパにもゴブラン織というものがありますが、多色で複雑なデザインのものはどうしても分厚く、重くなるんです。しかし西陣織は縫分けなどのさまざまな技法があって、非常に軽く薄く仕上げることができるんです。

――それは素晴らしいですね。

細尾 そんな織物はほかにありませんよ。だんだん、西陣織を世界に広める仕事を自分のライフワークにしたら面白いだろうなと思うようになっていきました。ちょうどそんな頃、父親ががんになったんです。毎日のように「戻ってきてくれ」という国際電話がきました。泣き落とし作戦です。世界を相手に仕事することを条件に、帰ってきたわけです。

絶好調から一転、市場は10分の1に

長く西陣織は宮中や公家、将軍家などの御用達で、オーダーメードの仕事をしてきた。装束や着物ばかりではなく、几帳(部屋を仕切る幕)、人形などもつくってきたという。

そんな西陣織は、戦後、高度経済成長に伴って拡大した中間層の幅広い需要に応じるために、着物と帯に特化し「夜中も機の音が止まない」時代を迎えるようになった。だが、生活の洋風化や景気の後退などのなかで需要は激減していく。

――戻られたのは何年ですか?

細尾 1982(同57)年です。着物と帯の販売が絶好調で“つくれば売れる”時代でした。父親は何も言いませんでしたが、私が「世界を目指したい」と言うと叔父や古参社員たちは「余計なことするな」という空気なんです。「そんなややこしいことに時間を使わんと、ちゃんと着物を売れば利益も上がって会社も社員も安泰や」という調子です。

――なるほど……。

細尾 私も実績を上げて会社で認められないと発言権も強くならないし、誰もついてこないと思いました。それで本業に精を出したんです。

――そのなかでも「世界に」という思いは持ち続けられたんですか。

細尾 ええ。時間があればちょこちょこ海外で売れそうなものをつくって試してみたりしていました。


『理念と経営』公式YouTubeにてインタビュー動画を公開!
(画像のクリックをお願いいたします  ※毎月20日公開!)

取材・文 中之町 新
撮影 宇都宮寿輝


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本記事は、月刊『理念と経営』2024年 1月号「企業事例研究1」から抜粋したものです。

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