『理念と経営』WEB記事

必死に働くことに勝る経営はない

株式会社大創産業 創業者 矢野博丈 氏

100円ショップ「ダイソー」を業界最大手に育て上げた矢野さんは、いかにして進むべき道を見いだしてきたのか。

恵まれなかったから今の自分がある

大創産業<ダイソー>によって定着した「100円均一」というビジネスモデル。今や庶民の味方となっているわけだが、そこに至るまでの道のりは険しく、創業者である矢野博丈さんの人生は波瀾万丈だった。

赤ひげ先生のような医師だった父親、同じく医師となった2人の兄、そんな家族の中で矢野さんが選んだ道は、実業家としての道だった。学生結婚した妻の実家が営む養殖業を引き継いだものの、餌代ばかりがかかり、多額の借金を背負い込む。実兄から700万円、今の1億円に相当するお金を借りたものの、3年後には経営が行き詰まり、家族3人で東京へ夜逃げ。土木作業やちり紙交換など、職を転々とした。

あるとき、仕事で東京に来た兄に呼び出された。借金についてなじられることを覚悟し宿泊先のホテルに向かったのだが、兄は笑顔で弟の無事を喜び「元気だったか。借金は返さんでもええ」と言うではないか。このとき、矢野さんは、兄に恥じない生き方をしようと決意した。

そんなときに始めたのが日用雑貨品を売る移動販売だった。順調に売り上げを伸ばしていたにもかかわらず、ある日突然、放火で自宅兼倉庫を焼失。かろうじて残った雑貨品を売り場に並べ、細々と商売を続けた。

ある日、雨の予報だったため、移動販売に出るのが遅れた。到着すると、開店を待っていたお客様が、商品を並べる前に段ボールを開け、お目当ての商品を取り出して「これいくら?」と聞いてきた。価格を調べる時間もなく、つい「全部100円でいい」と言ってしまったことが「100円ショップ」の商売の始まりだった。

「養殖事業に失敗して夜逃げしたころの苦しみがなければ、その後の成功もなかったと思います。私はよく『恵まれない幸せ 恵まれる不幸せ』と言いますが、私は恵まれなかったからこそ、今の自分があると思っています。私の経営を支えてきたのは「必死さ」です。才能も運もない恵まれない自分だったからこそ、必死に働くしかなかったのです。必死ということは、恵まれている者にはできんのんです」

取材・文 長野 修
撮影 編集部


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 12月号「特集1」から抜粋したものです。

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