『理念と経営』WEB記事

第78回/『アトツギベンチャー思考――社長になるまでにやっておく55のこと』

「ベンチャー型事業承継」提唱者の初単著

いうまでもなく、事業承継は中小企業にとって重要課題です。事業承継の成否が、その会社の未来を大きく左右するのですから……。『理念と経営』でも、事業承継の特集はくり返し組んできました。

直近の事業承継特集が、本年(2023年)7月号の「アトツギ・ルネサンス」。その中に識者としてご登場いただいたのが、今回取り上げる『アトツギベンチャー思考』の著者・山野千枝さんでした。

山野さんは「一般社団法人ベンチャー型事業承継」(2018年設立)の代表理事で、「ベンチャー型事業承継」という言葉自体の提唱者です。

「ベンチャー型事業承継」とは、ファミリービジネスの後継者が、先代の事業をただ踏襲するのではなく、新規事業・業態転換・新市場参入などの新たな領域に挑戦することを指します。

ベンチャー企業というと、株式公開やバイアウト(第三者への売却)などのエグジット(投資回収)を目指すイメージが強いでしょう。
しかし、ベンチャー型事業承継は(原則的に)そうではなく、地域に根を張り、企業永続を目指すものです。そのために、先代から受け継いだ有形無形の資産を活かす形で、新たな挑戦を重ねるのがベンチャー型事業承継なのです。

日本は、アメリカなどに比べてベンチャー企業が育ちにくいと言われます。そのことが、「失われた30年」の長い経済停滞や、近年の日本企業の「イノベーション不足」の一因にもなっているのでしょう。

しかし、中小企業にベンチャー型事業承継が増えれば、ベンチャー企業が新たにたくさん生まれるのと同じくらい、日本経済の活性化につながるでしょう。

山野さんもそのような考えのもと、ベンチャー型事業承継の普及・拡大を目指し、全国のアトツギたちを応援してきたのです。

本書は、山野さんにとって初の単著。ベンチャー型事業承継について、提唱者自らが、《この分野に携わってきた数十年の経験》を踏まえて著した入門書です。

事業承継準備のAtoZを実例からレクチャー

全5章の章立ては、次のようになっています。

1章 家業に入る前後のマインドセット
2章 家業を知る。自分を知る。
3章 家業で新しいビジネスを創る
4章 アトツギを取り巻く人々
5章 社長になるまでのファイナンス対策

――ご覧のとおり、家業に入る前の心構えから、新規事業への取り組み方、周囲の人々とのつきあい方、果てはファイナンス対策までが取り上げられています。
中小企業のアトツギが、近い将来の事業承継までにやっておくべきこと――そのAtoZが55項目にわたってレクチャーされていくのです。

本書が素晴らしいのは、すべてのレクチャーが豊富な実例に裏打ちされていて、机上の空論や一般論ではないこと。著者が目の当たりにした多くの事業承継を分析して導き出した、「こうしたほうがいい」という方法論が紹介されているのです。

これからの時代にふさわしい事業承継

本書の美点の2つ目は、「事業承継とはこういうもの」という古いイメージにとらわれず、これからの時代にふさわしい事業承継像が語られている点です。

たとえば、中小企業の後継者といえば、いまだに「息子(それも長男)がなるもの」というイメージが根強くあります。
娘が継ぐケースも増えてはいますが、それでもなお、「一般的には息子が継ぐもの。娘が継ぐのは異例」という“昭和な価値観”にとらわれている人は多いでしょう。

しかし本書では、そうしたイメージがいまや時代遅れになっていることが、事実に即して次のように語られています。

《一昔前まで、中小企業の経営者に後継者のことを尋ねると「いやいや、うちは娘ばかりだから、自分の代で終わりかな」と返されることがよくありました。引き継ぐとしても、娘の結婚相手が家業を継ぐ「マスオさん型」が主流であり、経営者の娘が継ぐケースは珍しかったと思います。
 しかし、今は違います。私が担当する大学でのアトツギ向け講座では、受講する学生の5割が女性という年もあります。
(中略)
 実際、先代が男性の場合、娘のほうが関係がうまくいくところもあるようです。息子がアトツギだと男同士のため元々会話が少ないこともありますし、息子に実力がついてくればくるほど、先代側にライバル意識が芽生えて、ギクシャクするケースが多々あります。一方、アトツギが娘の場合、先代がうまく後方支援に回って、上手に役割分担をしているケースが目立ちます》

ここに挙げられた例のように「うちは娘ばかりだから、自分の代で終わりかな」と思い込んでいた経営者にとっては、希望の光となる一節でしょう。

また、これまで、入社前のアトツギが修行のために他社で働く場合、家業の同業者や関連業種を選ぶことが一般的でした。
しかし、そのような修行のあり方も時代遅れで、家業に無関係な業界で働いたほうが入社後に活きることを、著者は指摘しています。

《一昔前なら、例えば家業が金属加工業なら鋼材商社に就職する、電気工事会社なら関連のある大企業に就職する、などがアトツギの一般的なキャリアデザインでした。しかし、今は特定の業界、業種だけを知っていても安心できない時代です。むしろ他業界の経験やネットワークが将来の財産になります。
(中略)
 家業にないものを持ち帰るのが、アトツギの役目です。家業以外で自分が熱狂できる領域や得意分野を持っておくことは、後になって絶対的に武器になります。自分が好きな仕事を自分で選んだのならば熱狂できるし、その分、専門性もスキルも身に付きます》

私は『理念と経営』を舞台に、十数年間にわたって中小企業を取材してきました。その経験に照らしても、著者の指摘は正鵠を射ています。
家業と無関係の業界で働いたのちに入社したアトツギが、業界の常識にとらわれない発想で画期的な新規事業を成功させる――そうした事例も多いのです。

「いまどきの事業承継のリアル」を知る

本書の対象読者として想定されているのは、当然、近い将来に事業承継を控えた全国のアトツギたちでしょう。その人たちにとっては、事業承継まで座右に置いて何度も読み返したいような、かけがえない羅針盤になると思います。

しかし本書は、それ以外の人が読んでも勉強になります。たとえば、我が子への事業承継を考えている中小企業経営者が読んでも、大いに有益でしょう。

また、直接には事業承継と関係ない立場であっても、本書を読んで“いまどきの事業承継のリアル”を知ることは、得難い学びとなるはずです。

山野千枝著/日経BP/2023年10月刊
文/前原政之

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