『理念と経営』WEB記事

つらい時こそ歯を食いしばって楽しそうにやる

医師 大村和弘 氏

ミャンマーで「サヤ・バラー」(力持ち先生)と呼ばれ、人々に親しまれている日本人医師がいる。東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科医・大村和弘さんである。

なぜ「バラー」、ミャンマー語で「力持ち」と呼ばれるようになったのか。

「よく、医療ですごい力を与えているからだと勘違いされるんですけど、違うんです。たまたま僕が給水機の水のタンクを両肩に担いで階段を上がっているのを見られて、そういうニックネームがついたんです」

大村さんはそう言う。だが、頼れる存在であることには変わらない。

大村さんが初めてミャンマーを訪れたのは2007(平成19)年5月。ミャンマーを中心に医療支援活動を行っているNPO法人ジャパンハートのメンバーとして、片田舎の病院に派遣されたのだ。

見るものすべてが驚きだった。水道の蛇口をひねると茶色の水が出てくるし、手術中に停電はするし……。

「でも、すごく楽しくて、東南アジアでの医療ボランティアをライフワークとしてやっていこうと思いました」

ミャンマーだけでなく、カンボジアやタイ、ラオスなどにも出かけた。

その国の人たちに溶け込み受け入れてもらうために、村の食堂に毎日通い、みんながするようにスコールがくると外で体を洗った。「おはよう」「ありがとう」という日本語を教え、現地の言葉も教えてもらった。時にギターを弾いて歌を披露することもある。

いつしかボランティアにはリュック一つとギターを抱えて出向くのが、大村さんのスタイルになった。

“劣悪な環境”と断じるのは、先進国の傲慢さではないか

もちろん、古い医療機器しかない国もある。大村さんは、けっしてそのことが劣悪な環境だとは思わない、と言う。劣悪と断じるのは、先進国の人間の傲慢さなのではないか。

「そこの人たちにとっては、それが普通なんです。その環境で自分のできることをやろうと思っているんです」

逆に、ミャンマーやカンボジアのように大学病院などには最先端の設備が整っている国もある。だが、それを使いこなせていないのだ。最新の機器を使える現地の医師を増やすことも、大村さんの志の一つになった。

大村さんが国際ボランティアを始めたきっかけは、小児科医でジャパンハートの代表である吉岡秀人さんの講演を聴いたことだった。

研修医になって2年目の05(同17)年。たまたま誘われて、吉岡さんの講演会に行った。

「当時、40歳の吉岡さんが、痩せた細い体ですごく熱いことを言うんです。『人は苦労しなければダメなんだ』『苦労した、その先に笑いがあるんだ』……。そんな話を聴いていて、この人と一緒に働いたら面白いかもしれない。そう思ったんです」

さらに、大村さんが惹かれたのは「誰でも参加できるシステムをつくりたい」という言葉だったそうだ。その帰り、書店に寄って国際医療ボランティア関連の本を探した。大きく二つの特徴があった。一つはアフガンで命を落した医師の中村哲さんのようにすべてをかけて現地に貢献している医師の本だ。もう一つは、数カ月、数週間ボランティアに参加した思い出を語っている書物である。

「中村さんのようなことは自分にはできないし、かといって過去のボランティアの思い出を語るのも共感できない。いまはどうなんだと思ってしまいます。やはり、吉岡さんの言う誰もが参加できるシステムをつくる、という考えは魅力があると思ったんです」

そうして2年後。現地の受け入れ体制が整い、大村さんは半年間の予定でミャンマーに赴むいた。

取材・文/鳥飼新市
撮影/伊藤千晴


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本記事は、月刊『理念と経営』2023年 10月号「人とこの世界」から抜粋したものです。

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